お知らせ

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命はどこから来るの?

天と地を指し示した誕生仏は命の尊さを表現しています。
命はオギャ-と生まれたときに始まり、死んだときに終わるのでしょうか。
「いのち」は、父と母から受け継ぎます。そして、その「いのち」につながるものは父と母が生まれる以前からも存在しているはずです。そして、その命は、はるか大昔から続いてきたことは確かです。もし途中でその「いのち」が途切れていたらどうでしょう。「わたし」という存在は、この世に生まれて来なかったでしょう。すべての生きとし生けるものはそのような、尊い命を受け継いだ存在なのです。4月8日は花祭りです。お釈迦様に甘茶をかけて、ご家族で命の尊さを話しあってください。

2013-12-02 | Posted in 仏事コーナーComments Closed 

 

どうしてお坊さんがお葬式をするの?

今では、あたりまえにお坊さんがお葬式をしていますが、大昔は一族の長老が葬儀を司祭していたそうです。道元禅師の頃はもちろん、その後も僧侶が一般の人の葬儀を行うことはありませんでした。時が流れ、一般の人も僧侶に葬儀を頼むようになりました。(当山では寛文年間-約340年前からの記録は残っています。) そこで僧侶は、没後作僧(もつごさそう)、亡くなった人を僧とみなして亡僧葬儀法によりお葬式をとり行いました。これが、葬儀の最初に授戒を行う由縁です。仏教徒といたしましては生きているうちに生前授戒で戒名を頂いておくのが望ましいといえるでしょう。

2013-12-02 | Posted in 仏事コーナーComments Closed 

 

日本の火葬は日本式

現在日本で一般に行われている火葬はお骨を拾ってその後、墓地に納骨します。
これは、インドの遺体を火葬し、灰にして川など流す風習と、日本古来の土葬の風習が融合したものです。いってみれば純粋な火葬ではなく埋火葬といえるでしょう。
完全な灰にせず、骨を残しそれを壷に収めてお墓に入れるあたりに、土葬の名残が感じられます。
人は、お墓参りという行為を通じて、亡くなった方を追慕し敬愛の念を表します。死者を弔う方法には世界各地それぞれ宗教・民族の特徴があらわれています。
ところで、関東と関西では骨壷の大きさが違うことをご存知でしたか。関東の骨壷を関西に持っていくと大きすぎてお墓に入らないそうです。

2013-12-02 | Posted in 仏事コーナーComments Closed 

 

六曜について

友引・大安などの六曜は深い教義に基づいたものではありません。
たかだか百二、三十年前に確定した機械的に当てはめた曜日の一種です。
(参考文献―平成13年版 曹洞宗宝暦)
こうした吉凶の占いに頼る心情はわかりますが、曹洞宗の教えから見れば迷信であると言えます。
『一期一会』の出逢いを大切にし、一日一日を精一杯生きる。『日々是好日』なのですから。

2013-12-02 | Posted in 仏事コーナーComments Closed 

 

戒名ってなあに?

全日本仏教会が戒名料という表現を止めることを宣言したのをご存知でしょうか。
しかし、よく戒名料が高いとかっていう話を聞きますよね。
戒を授かる(授戒)しるしにいただくのが戒名ですから、生きているあいだに戒名を受けるのが理想的な仏教徒のありようだと言えるでしょう。
戒名を授かりたい方はそれぞれの菩提寺に御相談してください。
戒名をいただくという事は、戒名を授けてくれた僧侶の弟子となり、一生ご指導を受けるということになります。
ちなみに曹洞宗の僧侶は、得度を受けたときに師匠から戒と安名と法衣を頂きます。
(曹洞宗では十歳以上。宗務庁の手数料は無料です。)
「戒名料はいくらいくらです。」などと言ってしまえる見識のない僧侶の弟子にはなりたくないですよね。

2013-12-02 | Posted in 仏事コーナーComments Closed 

 

殺生が禁止された霊場、高野山

 10月に曹洞宗茨城県宗務所主催の檀信徒研修で高野山へ登りました。登りましたといっても、今は車で標高約1000mの山の上に広がる平地、高野山へと行く事が出来ます。紀ノ川沿いからさほど広くない道路をバスは、すれ違いに苦労しながら登って行きました。大門の前を通過すると、山の上の街並みが現われてきます。今でこそ、簡単に登れるようになりましたが、かつては、山道を苦労して登る霊場であり、女人禁制ということで女性の立ち入りが禁じられた場所でもありました。

 永平寺や總持寺といった曹洞宗の大本山へは研修等でよく行きますが、真言宗の総本山である高野山へ行くのは初めてでした。奥ノ院、金剛峰寺、壇上伽藍等をお参りし、宿坊に泊り研修しました。時の関白豊臣秀次が天下人太閤秀吉によって追放されたのもこの高野山です。かつて、女人禁制、殺生が禁じられた聖地であるというのは、石童丸の物語でもわかります。四国八十八か所を巡礼した人がその最後に奥の院へお参りに来ることも今回知りました。
 そこで、不思議に思ったのは、そこに逃げ込めば命を奪われることのない霊場高野山、そこに追放された秀次はなぜ、そこで切腹したのかいうことです。秀吉が切腹を命じたというのが一般的な説でしたが、最近になって、時間的な経過からみても、秀次は自ら切腹したのではないかという説が出てきました。私も、その説が本当だと思いました。  奥の院へ行くと黒田、前田、佐竹、といった大名、大企業の供養塔がたくさん立ち並んでいます。黒田家の供養塔の近くには、豊臣家、徳川家、織田家の供養塔があります。それをみると、争いの絶えない戦国の時代においてさえ殺生が禁じられた高野山は、人々にとって特別な場所だったのです。

 宿坊に一泊した後、バスは熊野へと向かいました。熊野を訪れたのは二度目でした。龍泰院は、熊野山という山号です。古から信仰を集めた熊野、そこが、どうして信仰を集めたのかを学ぶ旅になりました。

2013-12-01 | Posted in 月々の法話Comments Closed 

 

紀伊半島大水害を乗りこえたお米が届きました

 2年前、平成23年9月3~4日にかけて、台風12号の接近に伴う未曾有の豪雨が紀伊半島を襲いました。東日本大震災からまもなく半年という時でした。、新宮市小原谷では、9月3日の一日の雨量が800mmを超え、4日には降り始めからの総雨量が1800mmを超えました。その後、観測機材は通信不能となり欠測となりましたが、2000mmを超えただろうといわれる記録的な大豪雨となりました。

 先月下旬に、曹洞宗茨城県宗務所主催の檀信徒研修で、高野山の宿坊に泊り、南紀熊野地方を訪ねました。二日目の昼食会場となった熊野川沿いのレストハウスは屋根の上まで増水し、完全に水没したようです。モニュメントが示す水位は屋根の上にありました。増水した熊野川と那智川は流域の住居や農地を遅い壊滅的な被害をもたらしました。

 和歌山県新宮市に隣接する三重県紀宝町鵜殿にある東正寺様からお米が届きました。平成15年に梅花流特派師範に就任した最初の年の11月、三重県第二宗務所を巡回したおり、住職の片野晴友老師に那智の滝や那智熊野大社、青岸渡寺を案内して頂いて以来ずっと親しくさせて頂いております。東正寺様では、平成20年に日曜学校の子供たちとお米を作ろうと田んぼを購入しました。平成23年には4日間かけて手植えで田植えを行い成長した稲を9月4日に稲刈りを予定していたそうです。その時襲ったのが台風12号による未曾有の大水害でした。田んぼは一面の砂山となり、お米を収穫することができなくなってしまったのです。
 1年以上かけた復旧作業も完了し、今年5月に再び田植えをすることができました。そして、収穫されたのが今回届いたお米です。これはおいしくない訳がありません。届いた翌朝に炊いたお米は、もちもちしていて本当に美味しかったです。

 平成23年紀伊半島大水害について、また、今回感じた、高野山と熊野地方の信仰については来月の法話で改めて述べさせていただきます。

2013-11-02 | Posted in 月々の法話Comments Closed 

 

2020年へ子供たちに夢を

 9月8日、午前5時、龍泰院の本堂には、2020年東京オリンピック&パラリンピック招致活動をしてきた地域のみなさん、大子ジュニアレスリングクラブの子供たちと保護者、指導者のみなさんなどが集まり、IOCのロゲ会長の発表を待っていました。袋田の滝のゆるキャラたき丸くんも現れ、かたずを呑んで見守っていました。そして、運命の5時20分、「TOKYO」と発表になると、大歓声に包まれました。

 大子町では、袋田清流会の発案で、オリンピック招致ポスターを町中に貼り、8月5日に招致委員会の関係者を招いて、袋田滝本でビッグフラッグへのメッセージを書き込むイベントなどが行われました。そして、発表の時は、パブリックビューイングで盛り上げようということになり、うちで行うことになったというわけです。

 大子町では、レスリングの吉田沙保里選手が合宿したのを縁に、大子ジュニアレスリングクラブとのご縁が続いています。その卒団生の中にはオリンピック出場の期待がもたれる生徒がいます。また、大子清流高校の生徒にもウェートリフティングでオリンピック出場が期待できる生徒もいます。東京での開催ということになればその夢が広がります。
 前回の東京オリンピックが開催されたとき私は4歳でした。次の世代の人たちにも夢と希望を与えることができるのではないかと嬉しく思います。「子供たちに夢を!東北の被災地に希望を」2020年はあと7年後、それは、そんな遠い未来の話ではありません。

2013-10-01 | Posted in 月々の法話Comments Closed 

 

南三陸町を視察研修して

 今日は、防災の日、関東大震災から90年という年です。先月下旬に教育委員会で南三陸町の教育委員会を訪問し、たくさんのことを学んできました。
 震災当日の先生と子どもたちの行動、避難所での中学生達の活躍、そして、防災訓練では中学生が中心になって避難所を運営したり、炊き出しをする訓練も行われているそうです。まさに、震災を教訓として震災からしっかり生きる術を学んでいると感じました。

 防災教育で大事なことは、「自分の命は自分で守る」ということに尽きるそうです。この重い言葉を大子町の子どもたちにも伝えたいと思います。南三陸町にある、歌津中学校の90パーセントの生徒が、「この町に残り、町の復興に関わっていきたい。」と考えているそうです。また、多くのこどもたちが、自衛隊の活躍に心を打たれ、将来は人のため、社会のために役立つ仕事につきたいと考えているそうです。
 この町の未来を担う、子どもたちの姿勢を頼もしく思うとともに、これからも継続して南三陸を応援していきたいとあらためて思いました。

2013-09-01 | Posted in 月々の法話Comments Closed 

 

支援の輪が広がる梅花流全国大会

 東日本大震災三回忌法要を兼ねた平成25年度梅花流全国奉詠大会は、宮城県利府町グランディ・21で5月29日と30日の二日間にわたって開催されました。  
 茨城県は大会の二日目にバス四台で参加しました。右手二階席の地元宮城県梅花講の席からは、熱烈歓迎「被災地宮城県へようこそ!」の垂れ幕がさがり、たくさんの墨書による力強いメッセージが掲げられていました。左手には福島からみえられたたくさんの講員さんが大会の様子を見守られ、三回忌法要の時には震災遺族の方々が参列されました。大会の様子は、一部を除いてインターネット動画サイト「ユーストリーム」で公開されて、世界中から見ることができます。

 また、販売ブースには売店もたくさん出店されていて、仏具や線香の他、東北の物産がたくさん並べられていました。その中には、石巻ざっふーの会や、被災地にお地蔵様を建てる運動をしている団体、岩手県の折鶴の形の被災者支援バッチを販売するブースなどもあり、いろいろな形で協力することができました。私も、折鶴のバッジを購入し、千羽鶴を作るのに協力してくれた人へのお土産にしました。

 今回、全国大会に参加した二日間で1万人以上の方々と思いを共有できたのは、本当に意義深いことであったと思います。そして、今回全国大会を通して東北の被災地を訪れた僧侶や講員さんが全国各地で感じたことなどをお話をしていただければさらにその輪が広がるのではないかと感じました。

 梅花流全国大会当日の様子は、この記事でご下さい。

2013-08-01 | Posted in 月々の法話Comments Closed 

 

全国から梅花の仲間が被災地に集まりました

 5月29日、午前7時30分に駐車場に集合した龍泰院梅花講員のみなさんたち、みんなで折った千羽鶴を全国大会に参加する12名の講員さんと私にたくしました。茨城県宗務所のバス三台は安達太良サービスエリアで集合、塩釜港から遊覧船に乗り松島湾へと向かい、そこで海上慰霊を行いました。震災語り部の女性ガイドさんの震災直後のお話は、地元の人ならではの興味深い話でした。
 松島で昼食を頂き、バスで石巻市大川小学校へと向かい、茨城県宗務所梅花講で花や千羽鶴を供え読経し、追善供養御和讃を唱えてご供養しました。私自身は震災後の石巻へ、何度も来ていますが、今回初めて津波の被害を受けた宮城県の沿岸部に来た講員さんも多く、静かに手を合わせて祈る姿が印象的でした。
 バスは岬を回り、南三陸へと入り、志津川の南三陸町防災対策庁舎のあとでも、読経し線香を手向けました。

 半年前に来たときには瓦礫や被災建物の基礎が目立った志津川の街も、すっかり整地され、盛土が始まり復旧工事が急ピッチで進められていました。震災後初めて来た講員さんに私は、一か月後の様子、三か月後の様子、一年後の様子などを話してあげました。そうでないと、ここに街があって多くの人が暮らしていたことさへ思いもよらない景色が広がっていましたので・・・。

 全国大会に参加した1万人以上の方が大会の行われた宮城県はもとより、岩手県、
福島県を訪れ、被災地の様子を目の当たりに見て、そして、温泉に宿泊し、お土産をたくさん買っていきました。そのお土産と共に全国の仲間に伝えることができたのではないかと思います。茨城県は30日の朝、直接会場にやってきた講員さんとも合流し、バス四台で全国大会二日目に参加しました。全国から集まった梅花の仲間とそうした思いをさらに強めた大会となりました。その様子は、来月の法話でご紹介させていただきます。


 梅花流全国大会旅行の様子は袋田の住職「山寺日記」でもご覧いただけます。

2013-07-01 | Posted in 月々の法話Comments Closed 

 

御開山さまの足跡を訪ねて 2

 5月29~30日は、宮城県で行われた東日本大震災被災物故者3回忌慰霊法要を兼ねた梅花流全国奉詠大会に参加してきました。その話は来月あらためて御報告させていただく事とし、4月17~18日に、御開山さまの足跡を訪ねて秋田へ行ってきた研修旅行についてお話します。

 北秋田市綴子の宝勝寺さまは、このたび開山550年を迎えました。初代住職は明岩桂光大和尚さまで、宝勝寺を開かれ住職を長く勤めたあと、足利に移り、長林寺の三世となられています。龍泰院の開山天山正繁大和尚は、宝勝寺の三世を勤めた後、足利長林寺五世となり、さらには、上金沢の常明寺の二世となりました。その後、天山大和尚は、御前山伊勢畑の長昌寺を開かれ、最後に開山し住したのが龍泰院です。長林寺住職の時代には、輪番住職として、三田の永澤寺の124世住職にもなっています。
 まさに、北から南へ西へと教線の拡大に大活躍された天山様ですが、当時は今と違い徒歩での移動だったでしょうから、さぞ大変なご苦労をされたのではないかと拝察しました。バスで移動しても長く大変行程でした。厳しかった冬を物語るかのように屋根からおちた雪の山に、改めて御開山さまのご苦労を偲んだところです。

 今回は、檀信徒の皆さんと宝勝寺様を訪問できたので、その感動を共有することが出来ました。本当にありがたい御縁をいただいたと思います。本堂で般若心経を読み正法御和讃を献詠し、開山堂をお参りさせて頂きました。客殿では山内の皆様に御歓待いただき、大変ありがたい思いを致しました。出発の時には宝勝寺の秩父住職自ら大梵鐘を撞いてお見送りして下さいましたが、これには、参加者の皆さんも大変感動されたそうです。

 480年の時と520kmの距離をつなげられる、本当にありがたい秋田県宝勝寺参拝となりました。

 研修旅行の様子は 袋田の住職「山寺日記」でもご覧いただけます。

2013-06-01 | Posted in 月々の法話Comments Closed 

 

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