お知らせ

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神戸への思い

今年の特派巡回地が決まり、6月に兵庫県第一宗務所を巡回することになりました。兵庫県の南部、あの阪神淡路大震災の被災地です。 平成7年の1月17日未明、阪神淡路大震災が発生し大勢の方が亡くなりました。人間はかってなもので、自分に関係ないと思うと悲しい気持ちもそれほどおこりません。実は私もはじめはそうでした。 しかし、永平寺同安居会の長尾恵猛兄より、連絡がはいり、安藤泰政兄、岡本和雄兄の寺院が甚大な被害を受けているという連絡があり、さらに数日後、和雄兄の二人のお子様が亡くなられたということを知らされました。この知らせに私は衝撃を受け、他人事と考えていたことを恥じ入りました。、 和雄兄の息子さんは当時9歳、私の甥と同じ年、娘さんは、4歳、うちの娘と同じ年でした。私は、いてもたってもいられない気持ちになり、同安居会を通して、義援金を送りました。 やはり、同安居で現在SVA理事を勤めている三部義道師が当時、永平寺の役寮として、被災地に入り、現地から報告を送ってくれました。それによると「二人のお子様を亡くされた和雄師の悲しみは、大変なものであったと思う。しかし、彼は、その悲しみを胸に秘めて、被災した人々を励まして街を歩いていた。自分が辛いのに、他人を励ましながら歩く姿に、菩薩の姿を見る思いがした。」と報告されています。 その年の7月に開催された同安居会には、義援金のお礼を述べに来られた和雄兄の姿がありました。辛い時に全国の仲間の励ましは大変心強かったそうです。悲しみが深くても微笑を絶やさない、元気な和雄さんの姿に私は、ひと安心したのですが、神戸を訪れたいという気持ちは、さらに深まりました。 そして、阪神大震災の一周忌法要の行われた日。全国曹洞宗青年会の呼びかけに答え、茨城県の青年僧侶有志11名で神戸行くことになりました。車で一晩かけて600kmを走り、1月17日未明に神戸到着!東灘区の向栄寺様にて和雄兄のお子様達の冥福を祈り、長田区御菅地区での慰霊行事に参加しました。 そこで、感じたことは家族を失った方々の悲しみの深さです。仮設住宅がなくなり、街が復興されても、悲しみがなくなることはありません。地蔵菩薩が人々の悲しみを受け止め、ともに歩む存在であるとしたら、あの時の和雄さんは、まさに、菩薩でありました。そして、我々僧侶の一人一人は、常に菩薩として人々の悲しみを受け止めていかなければならないと感じました。
2004-05-01 | Posted in 月々の法話Comments Closed 

 

初心の弁道はすなわち本証の全体なり

3月12日に、常安寺の徒弟で私の甥の文雄くんが大本山永平寺東京別院に上山しました。 前日、常安寺本堂でお経を読んで、みんなに見送られ、手甲・脚絆に網代笠といった雲水支度で駅まで歩いていきました。見送る人たちもこれからの厳しい修行を想像し、涙での見送りでした。 文雄は、未熟児で生まれ、しばらくは、離れた病院で育ちました。その間、私が母乳を水戸の病院の産婦人科病棟まで届けていたので、大きくなった甥の姿に感無量です。 修行に入ると、約一週間は旦過寮で一日中坐禅をして過ごします。そこで、認められて初めて正式な雲水として、そこで修行することが許されることになります。 私も、21年前に、福井の大本山永平寺で10日間の旦過寮と、それから毎日続く厳しい修行の時を過ごしました。その旦過寮で、新人の雲水を指導する客行(かあん)和尚さんより「初心の弁道はすなわち本証の全体なり!」初発心の時の気持をずっと忘れずに!という道元禅師のお言葉を頂きました。 今、この言葉を、新人の雲水として毎日の修行にのぞんでいる、甥に贈りたいと思います。 今の厳しい修行が、僧侶として生きていく、血になり、骨になっていくのですから。
2004-04-01 | Posted in 月々の法話Comments Closed 

 

縁は命のつながり

お釈迦様の最後の説法の様子を描かれた当山の涅槃図には、仏弟子たちだけでなく、多くの動物が描かれております。十二支の動物はもちろん、ゾウやツル、サギ、昆虫、ムカデなどまでも集って説法を聞いています。動物達も一様にうなだれ、悲しんでいるように見えます。 「袖、振り合う多生(他生)の縁」などと申すように、日本人は、人と人が出会うのは宿世の因縁と考えました。お釈迦さまの説かれた「縁起」は、「縁りて起こる」という意味で、「原因があって、結果がある。いろいろな現象はみんなどこかでつながっている」という考えが基本にあります。「縁」によって生きものはつながっているともいえるのです。遺伝子やDNAの研究がすすみ、科学的にも現在の人類はすべて、生命のつながりがあることがわかってきました。地球上に存在するすべての生きものも、多かれ少なかれ縁があるともいえるわけです。 道を歩いていてすれ違っただけの人とも、どこかでつながっている。人だけではなく、生きとしし生けるすべてのものは、命というものでどこかでつながっている。お釈迦様の教えの基本に、この命のつながりがあります。
2004-03-01 | Posted in 月々の法話Comments Closed 

 

正しい歯の磨き方!

皆さんは、歯を磨くとき、チューブ入り歯磨きをたくさんつけて口の中を泡立てて、ゴシゴシと磨いていませんか?
歯磨き粉には、研磨剤が入っているので、あまりつけない方がいいそうです。

正しい磨き方としては、水で口の中をすすいだ後、何もつけずに、歯のおもて、そして、歯のうらそして、歯の噛み合わせの部分も確認しながら、ざらつきがなくなるまで、ていねいに磨くことが大切そうです。
また、歯と歯の間を糸楊枝で磨くことも忘れずに。
仕上げに液体歯磨き少量つけて、軽く磨いて完了です。

道元禅師も歯の磨き方については詳しく示されています。

2004-02-01 | Posted in 雑学Comments Closed 

 

歯は命の源

現代人の平均寿命が伸びたのは、歯医者さんのおかげであるともいえます。野生動物は、歯が抜け落ちて、食べることが出来なくなったら、生きていくことが出来ません。 先日、歯科医院を開業している同級生のところで、歯の清掃を行っていただきました。私の場合、丈夫な歯を頂いたので、虫歯もなく、歯医者さんのお世話になることも少ないのですが、歯石もきれいにとっていただきすっきり致しました。 道元禅師は修行僧たちに、顔の洗い方、歯の磨き方を懇切丁寧に示されています。『正法眼蔵-洗面の巻』には、「まず、手に楊枝を執り、願文を唱え、その楊枝を細かく噛み、それで、歯のおもて、歯のうらを、磨くようにしてよく洗い、たびたび磨いて洗いすすぐ。歯ぐきの肉のうえも、よく磨いて洗い、歯と歯のあいだも、よく掻いて、清らかに洗うがよい・・・・・。」 と示されています。そして、洗面の作法についてさらに示されています。そして、それは、仏祖およびその児孫の護持し、伝えてきたところであると述べられています。 雑学のページの方に、最新の正しい歯の磨き方についてのウンチクを書かせて頂きましたのでご参照下さい。 子供の頃に、やわらかいものばかり食べずに、かたいものをしっかり噛んで食べるようにすると、歯並びもよくなります!
2004-02-01 | Posted in 月々の法話Comments Closed 

 

グリーン・プラン

昨年、トイレや浴室などの水回りをリフォームしました。新しいお風呂は、スイッチひとつで、お湯をはり、沸き上がってくれます。そして、「お風呂のお湯が沸きました!」と機械がしゃべって知らせてくれます。本当に便利な時代になりました。 私が、小さかった頃は、「五右衛門風呂」でしたので、底ぶたを沈めて、身を寄せ合って入ったものです。杉の葉を山から拾ってきて、薪に焚きつけ、お風呂を沸かすのが、私達子供の仕事でした。 また、朝早くには、母がかまどでご飯を焚いてくれていたので、私たちは、おいしいご飯を頂いてました。かまど焚きならではのおこげがなんともいえない味でした。今考えると、私はけっこう貴重な体験をして育ってきたのかもしれません。 毎年、毎年、空気中に増えているのが二酸化炭素だそうです。これは、人間が石炭や石油などの化石燃料を使うようになってから、ずっと増え続けています。近年、世界中でひんぱんに起こっている、冷夏、猛暑、かんばつ、暖冬なども、その影響だといわれています。 もう、私達も、昭和30年代の生活に戻ることは出来ないとは思いますが、自然と向きあって暮らすことがとても大切だと思います。皆さんも、回りの緑に目を向けてくださいね。曹洞宗は、身近なできる所から、「グリーン・プラン」をスローガンに環境問題に取り組んでいます。
2004-01-01 | Posted in 月々の法話Comments Closed 

 

天国と地獄

先日、保育所に通う6歳の二女に訊ねられました!「死んだら、天国と地獄のどっちに行くの?ちづこは天国にいけるかな?地獄には行きたくないなぁ~」と・・・。「そうだね、良いことをすれば天国に行けるし、悪いことばかりしていると地獄に行くのかな?」と答えると、「じゃ、私はどちらだろう?天国にいけるといいなぁ。ねえ?地獄ってどんなところ?」私が、「地獄は、人と人が憎み合っていて、争いが絶えず、苦しみの毎日を送っている所だよ!。」そして、「地獄は死んでから行くのではなく、地獄のように苦しみと不安な毎日を送る人もいれば、天国のように心の安らぎを得て、おだやかに暮らしている人もいるんだ!天国も地獄もこの世の中にあるのかもしれないね!」というと、不思議そうな顔をしていました。 そして、「おとうちゃんは、死んだら天国にいけるんでしょう!お坊さんだから・・・。」と言われて、「お坊さんは、地獄に行きそうな人を天国に連れて行ってあげなければならないので、地獄と天国の間を行ったり来たりするんだ。」「そうなんだぁ!ちづこは地獄に行くのはいやだなぁ」と・・・。 ちづこちゃん!保育所で先生や友達と仲良く元気に遊んで、長生きしてくださいね!
2003-12-01 | Posted in 月々の法話Comments Closed 

 

霊感はいらない

先月、有栖川と名乗り、皇族にゆかりがあるような行動で、人々をだました詐欺事件が話題になり、犯人が逮捕されました。それにしても、最近、人の心をもてあそぶような詐欺事件が多発しています。孫を思う心を利用した「オレオレ詐欺」なども新手の手口があらわれ、なかなかなくなりません。 宗教は、人を安心(あんじん)に導くものです。いたずらに不安に陥れるものが、正しい宗教のはずはありません。宗教を語る者の中にも、自分は霊感や不思議な力があると言って、人々に影響を及ぼす人もいます。霊は本当に存在するのでしょうか? その真偽はさておき、正しく理解していただきたいことは、たとえ霊感があっても、そのひとがそのことにより、ひとより優れているということにはならない!ということです。「自分は霊感が強いんだ!」と自慢げに話す人もいますが、霊感なんてあってもなくてもどうでもいいことです。それよりも、人を思いやる心、やさしい心があるほうが、人間として大事なことだといえるでしょう。みなさん!インチキ霊能者にだまされてはいけません。
2003-11-01 | Posted in 月々の法話Comments Closed 

 

かんたん豆腐の作り方

豆乳とニガリを使った簡単な豆腐の作り方です。

まず、一人用土鍋か手鍋を用意します。
それに、豆乳200ccから300ccを入れます。
2分から3分火を入れ、温まったところでニガリ大さじ一杯位を入れて手早くかき混ぜます。
その後は、弱火で固まるまで火を加えます。
固まったら、そのまま、アツアツでたべると美味しいです。

これからの季節、ポン酢などで味わって下さい。
使用する豆乳は未調整のものを使用して下さい。
豆乳やニガリの種類によっては良くかたまらない場合もあります。
分量を調整しながら、何度かためしてみて下さい。

2003-10-05 | Posted in 雑学Comments Closed 

 

一本締めと三本締め

「よー!しゃしゃしゃん しゃしゃしゃん しゃしゃしゃん しゃん」とつごう、十回手を叩くと一本締めになります。

それを、三回繰り返すことが三本締めというわけです。
歌舞伎の襲名披露や証券取引所の大納会などではこの、三本締めが伝統的に行われています。

三本締めでは、時間がかかるということで一本締めも行われるようになりました。

江戸っ子は気が短いということもあり、さらに、「よー!しゃん」と一回だけ手を叩く締め方も生まれました。
これが、関東一本締めです。

2003-10-01 | Posted in 雑学Comments Closed 

 

人生に余生はない

「定年まで勤め上げたので、余生はノンビリ過ごしますか!」などという言葉を聞くことがあります。 ところで、余生ってなんでしょうか?人生の余った生? 道元禅師は、「正法眼蔵」生死(しょうじ)の巻の中で、「生を明らめ、死を明らむるは、仏家一大事の因縁なり」と書かれています。一生をかけて求めていくテーマ「生」に余るところなどないなずなのです。 日本も、これから高齢型社会になっていくことが予想されます。生きがいをもって、余すところなく、人生を楽しく過ごしてもらう為にも、社会奉仕は重要なことだと思います。 久慈川の名勝「たきなご」を眺められる国道118号線のロードパークは、地元久野瀬地区の老人会の方が毎週清掃活動をしています。おかげで、いつも、綺麗に気持ちよく通ることが出来ます。年をとっても、自分で出来ることを、自分なりに勤めていくということが、重要なことだと思います。 お釈迦さまは、80歳で亡くなられるまで、説法の旅を続けられました。余生をノンビリなどとは考えなかったでしょうね。
2003-10-01 | Posted in 月々の法話Comments Closed 

 

山を守る

龍泰院の裏山は、コナラ・カシ・クリ・サクラ・モミジやさまざまな種類の樹が混在する雑木林です。雑木林というのは、放っておけば自然になると思われがちですがそうではありません。 以前は、晩秋には堆肥用に木の葉さらいなどをしていましたし、定期的に切り払って更新をしていました。それを、木炭やキノコの種木など広範囲に利用していたのです。 大子では、八溝どんぐりの会(会長戸辺洋一さん)や、大子に森を創る会(会長岩佐寿弘さん)などのボランティア団体が、山を守る為にいろいろな活動をしています。私も会員の一人として、8月31日に、植樹地の下草刈り払い作業に参加したのですが、どんぐりから育てた1.5m程の苗木が、葛やツタや下草に覆われてました。放っておけば、藪になってしまうでしょう。実際に作業に参加してわかった事ですが、あらためて、山を守るということが大変なことだと感じました。 曹洞宗でもグリーンプランというスローガンで、環境問題に取り組んでいます。全国各地でいろいろな取り組みをしています。大切なことは、地球の環境を守るというのは、一人一人が自分の問題だと感じること、未来の人への責務だと感じることだと思います。 最近は異常気象があたりまえのことになったといわれています。すでに自分の問題になっているのです。身近なことから、出来ることから、初めてみませんか!
2003-09-01 | Posted in 月々の法話Comments Closed