お知らせ

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みんなちがって、みんないい

山口県長門市仙崎は、詩人の金子みすヾさんが、生まれた所です。小学校の教科書にものっている「私と小鳥と鈴と」という詩を紹介します。
私が両手をひろげても、お空はちっとも飛べないが、 飛べる小鳥は私のように、地面(じべた)を速くは走れない。 私がからだをゆすっても、きれいな音は出ないけど、 あの鳴る鈴は私のように たくさんな唄は知らないよ。 鈴と、小鳥と、それから私、みんなちがって、みんないい。 【JULA出版局 金子みすヾてのひら詩集・2より】
この、「みんなちがって、みんないい」という言葉は、なんと心地よく心に響くのでしょう! 金子みすヾさんが生まれたのは、明治36年(1903年)です。あの時代にこの様な発想を持っていた人がいたということに驚きます。当時はあまり評価されなかったようですが、最近になって再評価され、仙崎には、「みすヾ通り」や「金子みすヾ記念館」などもできました。 曹洞宗でも、金子みすヾさんのことを酒井大岳老師が本や講演で紹介しています。 けっして、幸せな人生を送ったとはいえない金子みすヾさんですが、生み出した詩の数々は、現代人に生きる力を与えてくれています。
2004-12-01 | Posted in 月々の法話Comments Closed 

 

親思う心にまさる親心

10月に、梅花の特派巡回で山口県へ行きました。下関から小野田、萩、田万川といった所を回りました。萩へ行くのは今回が三回目になります。長州藩の本城、萩城のあった萩市は、明治維新の魁となった所です。吉田松陰が開いた松下村塾,そこは若い長州藩士達が志を学んだところです。 「親思う心にまさる親心 今日のおとずれ、なんと聞くらん」この歌は、安政の大獄で刑死させられた、吉田松陰が故郷の両親に送った辞世の歌だといわれています。私は、高校の修学旅行で萩を訪れた時、この歌を知り、お土産にその歌の書かれた絵馬を買い求め、机の上に飾りました。 自分の命は自分だけのものではない、大切にしなければ!とこの歌を心に刻みました。私が、中学二年の時、父は急逝しました。その時母は、39歳でした。厳しい母に反抗することも多かった少年時代、この歌に接し、母の本当の思いがわかったような気がしたのです。 また、巡回の終った翌日、長門市の仙崎へ行きました。仙崎は、戦後大陸からの引揚者や復員兵が、上陸した港です。引揚港であった事を示す、「この様なことが二度とあってはならない!」という、長門市長の言葉が刻まれた記念碑がありました。 数々の苦難を乗り越え、母なる日本の大地に戻って来た方々の心を思うと感無量です。また、遥かな異国の地で、親を思いながら、故郷を思いながら亡くなっていった方々のおもいの数々も、私たちは伝えていかなければと思います。
2004-11-01 | Posted in 月々の法話Comments Closed 

 

お釜で、ご飯を炊くのには

最近は、電気やガス炊飯器を使ってご飯を炊くことが多いと思います。
もし、災害などで、電気やガスが止まってしまった時、皆さんはどうしますか?
そんな時、昔ながらのお釜があれば安心です。
うちには、五升釜と七升釜があります。
それで、かなりの人数の食事の炊き出しをすることが可能です。

「はじめチョロチョロ、中パッパ、ブツブツいう頃火をひいて、赤子泣くともフタとるな!」
という言葉を聞いたことがあるかと思います。焚き方の基本を示した言葉です。
まず、お米をといで、釜に入れ分量の水を入れます。
水の分量は、米の量の100~120%(新米の場合は水を少なめ)
(水分量は水を吸わせた米と同量にすると間違いありません)
後は、カマドに釜をのせ、薪で焚きます。
難しいのは、火を落すタイミングです。
吹きこぼれたところで、火を落すのが基本ですが釜の大きさに対して、分量が少ない場合は、吹きこぼれないこともあります。
釜のフタをとると圧力が落ちますので、フタをとらずに中の様子をうかがいます。
ころあいを見計らって火を落し、10~15分くらい蒸らします。

火を落すのが遅れるとこげてしまうこともありますが、そのおコゲがまた、香ばしくて、いいものです。

下の写真は五升釜でご飯を炊いている所です。
思ったより短時間で、簡単に美味しいご飯が炊けます♪

2004-10-16 | Posted in 雑学Comments Closed 

 

備長炭

中国が、自国の森林保護のため、日本向け備長炭の輸出を禁止する!というニュースがありました。 備長炭は、紀州の名産品と思っていたので、紀州以外で生産されたものを備長炭と呼んでいるのを不思議に感じましたが、さらに「中国産の備長炭」いう表現は「そんな馬鹿な!」という感じです。焼き鳥や蒲焼に使う備長炭が値上がりするのは困るといったニュアンスのコメントをつけるニュースもありました。 中国が木炭の輸出を禁じ、自国の森林を守ろうとするのは当然のことです。日本では、豊富な森林資源があるにもかかわらず、木材価格の低迷により、森林を管理することが難しくなってきてます。中国産の木炭が入ってこなくなれば、日本の木炭の価格が適正になり、日本の木炭生産者にとっては喜ばしい事ではないかと思います。杉やヒノキについても、外国からの木材の輸入を制限することが必要だと思います。それにより、国産木材の価格を適正になり、壊滅寸前の日本の林業が復興できると考えられるからです。 この際、日本は、地球にとって大切な熱帯雨林や寒帯林を伐採して、輸入することをやめたらいかがでしょうか!無秩序な伐採はさらなる地球温暖化などの環境悪化を生み出します。日本のにおいても、林業の不振により、管理不能に陥った今の日本の山林では、集中豪雨に耐えられずに、洪水や山腹の崩壊などがおきています。今こそ、林業においても経済優先の考えを改め、豊かな緑の山林を守っていかなければならないと思っています。 曹洞宗ではグリーンプランを推進しています。緑を守るということは山の木を切らないということではありません。大切に守り、そして、循環可能な資源として活かしていく努力が必要なのです。
2004-10-01 | Posted in 月々の法話Comments Closed 

 

禅の友

アテネオリンピックでおおいに盛り上がった夏休みも終わり、残暑はあるもののすっかり秋の気配です。 曹洞宗発行の檀信徒向け月刊誌「禅の友」に特派布教師でもある、石川光学老師のお話しが載っていました。その中に、芥川龍之介の小説「蜘蛛の糸」で、蜘蛛の糸を登りきれずに地獄へ戻ったカンダタがその後どうなったかを想像したものです。石川老師の考えるその後のカンダタについては、「禅の友」9月号を御覧頂くとして、私の想像したその後のカンダタをお聞きください。 「その後、地獄で長いこと暮らしたカンダタは、地獄での生活にも慣れ、友達も大勢できて、毎日を送っていました。そんなある日、再び蜘蛛の糸が遥か上から垂れ下がってきました。しかし、カンダタはもう、先を争って登ろうとはしません。先を争うとまた切れてしまうから、他の人に先に登ってってもらい、自分は後から登ろうとしたのです。蜘蛛の糸はすべての人を地獄から脱出させることは出来ず、また、途中で切れてしまいました。でも、人を先に行かせ、地獄に残った人たちの回りには、蓮が芽を出し、やがてきれいな花を咲かせました。もうそこは、地獄ではありませんでした。全てをご覧になっていたお釈迦様は静に微笑を浮かべました。」というものです。 2003・12・1の法話でも述べましたが、世の中を地獄にするのも、極楽にするのも人々の心が決めるものだと思います。それにしても、アテネオリンピック男子ハンマー投げの金メダリスト室伏選手の正々堂々とした態度はかっこよかったですね! それから、「禅の友」9月号読者の広場には、うちの檀家さんの藤田喜美さんの投稿「たのしい写仏」も掲載されています。「菩提寺のご住職さま・・・・」とあるのが実は私です。
2004-09-01 | Posted in 月々の法話Comments Closed 

 

龍泰院が曹洞宗参禅道場に認可されました!

2004-08-02 | Posted in 坐禅会Comments Closed 

 

こどもZENスクール

7月30日~31日、霞ヶ浦に程近い阿見町長泰寺さま(曹洞宗茨城県宗務所)において、第35回こどもZENスクールが開催されました。今年は、小1~中1まで七年連続で参加した長女の美代子にかわり、次女で小1の千鶴子が参加しました。坐禅や作務、お勤めなども一生懸命です。花火や飯ごう炊飯、ゲームなどの楽しい持間を過ごし、お友達もできて満足の様子でした。 私も、小3から高2までほとんど毎年参加してましたが、その時聞いた法話が、私の仏教に対する考えを変え、僧侶への道を歩ませることになったといっても過言ではありません。今回、主催する茨城県宗務所青少年教化委員会委員長の花和浩明師が子供たちに話したことが、印象に残りました。「自分の為に生きるのではなく、人の幸せを願って生きたのがお釈迦さまの人生です。」という言葉です。「慈悲心」「利他行」という仏教の基本にあるものは、お釈迦さまの生き方そのものでもあります。お盆前の忙しい時に、子供たちのために集り、汗して働いていた、宗務所の皆様や青少年教化委員会諸師の行いは、慈悲心にあふれた利他行です。こうした地道な努力が、次の世代の子供たちの、心を育ててくれるものと思います。 夏休みに、そうした、こども達の心を育む体験をさせてあげることの大切さを、今回あらためて感じました。
2004-08-01 | Posted in 月々の法話Comments Closed 

 

104歳の禅師さま

6月9日~11日にかけて、バス一台で檀信徒をひきつれ大本山永平寺と宇治興聖寺など京都の祖蹟参拝の旅に行ってきました。 何度行っても、永平寺の荘厳な雰囲気はいいものです。本山参りからもどった翌日の12日、「NHKスペシャル永平寺104歳禅師」という番組が放送され、数え年104歳の宮崎禅師が紹介されました。永平寺の禅師さま、さぞかし、難しい話をされるのかと思いましたが、そうではありません。その教えはいたって簡単なことで、たとえば、お線香はまっすぐ立てて上げなさい。スリッパや履物はきちんと揃えて脱ぎなさいということです。きちんとそろえれば、心も真っ直ぐになるということです。簡単なことですが、いつも心がけてないと出来ないことです。 それから、禅師さまは、毎朝、坐禅を欠かしません。それは、私が永平寺で修行していた昭和57年当時もそうでした。大本山永平寺監院という一番大変なお役にありながら、坐禅にむかわれるのは一番先です。振鈴の鳴らされる午前3時30分には、すでに坐禅をされているのです。偉い人は、後から出てくるというのが一般的でしょうが、永平寺は違います。104歳の禅師さまが先頭に立って修行されているのです。最初に感じた、永平寺の荘厳な雰囲気、凛と張りつめた空気の源はそこのところにあるのでしょう。 テレビで拝見した禅師さまの食事には、湯ムキトマトがありました。私も、大庫院にいた時は、湯ムキトマトをお出ししていたので、とても懐かしい思いがしました。肉や魚を召し上がられない禅師さま、湯ムキトマトとお豆腐、そして毎日欠かさない坐禅が長寿の秘訣だと思います。 私はこのたび、6月25日に兵庫に入り、7月3日まで、梅花の特派講習を勤めさせていただきました。5月の法話で紹介させていただいた、岡本和雄さんの義兄にあたる方にお会いすることが出来、和雄さんにその後、男の子が生まれたいうことを知りました。私の息子と同じくらいの歳のようです。私にとって何より嬉しい知らせでした。あの震災から、もう半年で10年となります。
2004-07-04 | Posted in 月々の法話Comments Closed 

 

追善供養

この頃、法事などを簡単に済まそうという人が増えているようです。お寺から年回の連絡が来ようものなら、法事を強制されたなどと言う人さえいます。 龍泰院では、年回表を掲示する程度で、特に戸別の年回の案内はしていません。法事は施主家が、追善供養の為、自主的に行うもので、他の人に言われて行うのは本義ではないと考えるからです。 事情によっては、塔婆を書いてもらい、身近な方だけで、墓参をして故人をしのぶ追善供養もあるでしょう。また、大勢招待して盛大に行う法事もあるでしょう。真心がこもったお参りが出来れば、形式にこだわることは無いと思います。 実は、私の父が来年三十三回忌を迎えます。三十三回忌は、清浄本然忌ともいい、最後の追善供養です。(その後は、報恩供養と呼ばれます。)三十三回忌の一年前の供養を大本山永平寺で行い、来年の命日には、父が生前に交流のあった方々をお招きして、追善供養を行いたいと考えています。48歳で亡くなった父ですので、皆さんの記憶も薄れているでしょう。年表や写真をリーフレットにまとめて、参列者にお配りし、しのんで頂きたいとも思っています。 私の子供達にも、追善供養を通じて、今の幸せの礎えになった、母の苦労などもわかってもらいたいし、感謝する心を育んで貰いたいと思います。
2004-06-01 | Posted in 月々の法話Comments Closed 

 

神戸への思い

今年の特派巡回地が決まり、6月に兵庫県第一宗務所を巡回することになりました。兵庫県の南部、あの阪神淡路大震災の被災地です。 平成7年の1月17日未明、阪神淡路大震災が発生し大勢の方が亡くなりました。人間はかってなもので、自分に関係ないと思うと悲しい気持ちもそれほどおこりません。実は私もはじめはそうでした。 しかし、永平寺同安居会の長尾恵猛兄より、連絡がはいり、安藤泰政兄、岡本和雄兄の寺院が甚大な被害を受けているという連絡があり、さらに数日後、和雄兄の二人のお子様が亡くなられたということを知らされました。この知らせに私は衝撃を受け、他人事と考えていたことを恥じ入りました。、 和雄兄の息子さんは当時9歳、私の甥と同じ年、娘さんは、4歳、うちの娘と同じ年でした。私は、いてもたってもいられない気持ちになり、同安居会を通して、義援金を送りました。 やはり、同安居で現在SVA理事を勤めている三部義道師が当時、永平寺の役寮として、被災地に入り、現地から報告を送ってくれました。それによると「二人のお子様を亡くされた和雄師の悲しみは、大変なものであったと思う。しかし、彼は、その悲しみを胸に秘めて、被災した人々を励まして街を歩いていた。自分が辛いのに、他人を励ましながら歩く姿に、菩薩の姿を見る思いがした。」と報告されています。 その年の7月に開催された同安居会には、義援金のお礼を述べに来られた和雄兄の姿がありました。辛い時に全国の仲間の励ましは大変心強かったそうです。悲しみが深くても微笑を絶やさない、元気な和雄さんの姿に私は、ひと安心したのですが、神戸を訪れたいという気持ちは、さらに深まりました。 そして、阪神大震災の一周忌法要の行われた日。全国曹洞宗青年会の呼びかけに答え、茨城県の青年僧侶有志11名で神戸行くことになりました。車で一晩かけて600kmを走り、1月17日未明に神戸到着!東灘区の向栄寺様にて和雄兄のお子様達の冥福を祈り、長田区御菅地区での慰霊行事に参加しました。 そこで、感じたことは家族を失った方々の悲しみの深さです。仮設住宅がなくなり、街が復興されても、悲しみがなくなることはありません。地蔵菩薩が人々の悲しみを受け止め、ともに歩む存在であるとしたら、あの時の和雄さんは、まさに、菩薩でありました。そして、我々僧侶の一人一人は、常に菩薩として人々の悲しみを受け止めていかなければならないと感じました。
2004-05-01 | Posted in 月々の法話Comments Closed 

 

初心の弁道はすなわち本証の全体なり

3月12日に、常安寺の徒弟で私の甥の文雄くんが大本山永平寺東京別院に上山しました。 前日、常安寺本堂でお経を読んで、みんなに見送られ、手甲・脚絆に網代笠といった雲水支度で駅まで歩いていきました。見送る人たちもこれからの厳しい修行を想像し、涙での見送りでした。 文雄は、未熟児で生まれ、しばらくは、離れた病院で育ちました。その間、私が母乳を水戸の病院の産婦人科病棟まで届けていたので、大きくなった甥の姿に感無量です。 修行に入ると、約一週間は旦過寮で一日中坐禅をして過ごします。そこで、認められて初めて正式な雲水として、そこで修行することが許されることになります。 私も、21年前に、福井の大本山永平寺で10日間の旦過寮と、それから毎日続く厳しい修行の時を過ごしました。その旦過寮で、新人の雲水を指導する客行(かあん)和尚さんより「初心の弁道はすなわち本証の全体なり!」初発心の時の気持をずっと忘れずに!という道元禅師のお言葉を頂きました。 今、この言葉を、新人の雲水として毎日の修行にのぞんでいる、甥に贈りたいと思います。 今の厳しい修行が、僧侶として生きていく、血になり、骨になっていくのですから。
2004-04-01 | Posted in 月々の法話Comments Closed 

 

縁は命のつながり

お釈迦様の最後の説法の様子を描かれた当山の涅槃図には、仏弟子たちだけでなく、多くの動物が描かれております。十二支の動物はもちろん、ゾウやツル、サギ、昆虫、ムカデなどまでも集って説法を聞いています。動物達も一様にうなだれ、悲しんでいるように見えます。 「袖、振り合う多生(他生)の縁」などと申すように、日本人は、人と人が出会うのは宿世の因縁と考えました。お釈迦さまの説かれた「縁起」は、「縁りて起こる」という意味で、「原因があって、結果がある。いろいろな現象はみんなどこかでつながっている」という考えが基本にあります。「縁」によって生きものはつながっているともいえるのです。遺伝子やDNAの研究がすすみ、科学的にも現在の人類はすべて、生命のつながりがあることがわかってきました。地球上に存在するすべての生きものも、多かれ少なかれ縁があるともいえるわけです。 道を歩いていてすれ違っただけの人とも、どこかでつながっている。人だけではなく、生きとしし生けるすべてのものは、命というものでどこかでつながっている。お釈迦様の教えの基本に、この命のつながりがあります。
2004-03-01 | Posted in 月々の法話Comments Closed