月々の法話

月々の法話

カラッとした心

10月になると、水や空気が澄みわたり、なんとも気持ちがいいものです。これから紹介するお坊さんはそんな秋空のように爽やかな方です。
その方が住職をされている、お寺を訪れると、お坊さんにも、おじいちゃん、おばあさんにも、そして、こどもにもお母さんにも大きな住職さんの声がとんできます。
「こんちわ~!元気かい~?」・・・ この、元気かい~?が何ともよいのです。疲れた様子のおばあさんもこの「元気かい~?」の声を聞くと、いっぺんに若返って元気になります。
格式の高いお寺の住職でありながら、誰に対してもこびをうったり、威張ったりすることはありません。回りが心配する位私利私欲が無く、私財を次々に投じて、境内を整備し、坐禅堂まで建ててしまいました。身体を使って働くことが好きで、朝早くから、動物の世話をしたり、畑の手入をしたり、一日中働いています。ふいの来客にもいやな顔もせず、親身になって相談に乗ってあげます。
私も見習いたのですが、なかなか持って生まれた引っ込み思案な性格で、「元気かい~?」の挨拶が気恥ずかしくて出来ませんが、いつかそんなふうになりたい、澄み渡った秋空を見て思いました。

2005-10-01 | Posted in 月々の法話Comments Closed 

 

日本の宗教は祖霊崇拝

戒名をつけて頂き、仏教で弔われた戦没者が神様として、靖国神社に祭られているというのはおかしい!という方もいるかと思います。靖国神社については政治問題、国際問題になっているのでここでは深くはふれませんが、一般的な日本人にとっては、それは別におかしいことではないともいえます。 それは、ふだんの信仰にもあらわれています。お葬式は仏式で行っても、お正月には神社に初詣をする人も多いわけですが、実はそれも日本人の意識の中ではあたりまえの事です。仏教徒といっても特定の宗派の教義を信奉しているというよりは、祖霊崇拝が信仰の中心になっているからです。仏教自身が、教義を、広めるというよりも、その祖霊信仰の中に進んで取り込まれていくことにより、勢力をひろげてきたともいえる訳です。神社もお寺も自分達の祖霊を祀る存在です。そして、祀られた祖霊が自分達や子孫を守ってくれるというのが信仰の根底にあるわけです。 日本人は、山・太陽・滝など、大自然を崇拝しそこに神仏を見出してきました。仏教や神道もそうした日本人の原初的信仰と一体化されていたです。明治以降、神仏分離により、そうした神々への信仰が国家神道へと、また、仏教へと分離された訳ですが、心までは分離されなかったともいえる訳です。 檀信徒のお寺に対する期待は、葬儀や法事など先祖供養です。僧侶としては坐禅などにも親しんで頂きたいと思うのですがなかなかうまく行かないのもそのあたりに原因があるのかもしれません。最近、そうしたあたりまえの日本人の信仰というものを大切にしていきたいとも考えています。その中で、仏の教えを分かりやすく伝えていきたいと思います。早いものでもう9月、秋のお彼岸ですね。
2005-09-01 | Posted in 月々の法話Comments Closed 

 

みなさんお盆ですよ!

お盆といえば、田舎に帰っって、お墓参りをしたりしてすごすのがあたりまえだったのですが、田舎の付き合いはめんどくさいからと、旅行に行ったりして過す人が増えているようです。中には海外に行く人もいて、お盆の様子もさま変わりしてきました。 お盆に、塔婆をあげたり、お坊さんに読経をしてもらうというのも、だんだん減っていくのでしょうか?しかし、お盆はお盆です。迎え火を焚きご先祖様を迎え、亡き方への供養をしながら過すのがお盆なのです。自分の命の根源というか、ご先祖さまとのつながりを、考えながら過す大事な期間だと思うのですが・・・、特に普段なかなか出来ない親子のふれあいを深める大切な行持だと思いますよ!遊びに行くのも良いですが、一日ぐらいは、先祖への祈りを込めて家族で一緒に過して頂きたいと思います。 先日、母の実家を訪ねた時、こども達とお墓参りをしてきました。こども達にとってはおばあさんの両親が眠っています。墓誌を見ながら、その人柄を説明してあげたら、あった事がなかったひいおじいさんとひいおばあさんを身近に感じてくれたようです。ひいおじいさんとおばあさんは八人います。その八人の存在なくして今の自分はいない!命のつながりってとても不思議です。 今年は、戦後60年の節目の時でもあります。戦没者への祈りも忘れずに過したいですね・・・。
2005-08-01 | Posted in 月々の法話Comments Closed 

 

戒律というものを考える

長女が先日15歳になりました。自分もそうでしたが、15歳の頃ってなかなか心が安定しない時期だと思います。最近、15歳の少年の犯した大事件が続きましたが、そのような報道に接するたびに心を痛めている方も多いと思います。 話は変わりますが、日本では、古来、人前結婚式が主流だったそうです。明治以降、キリスト教式の結婚式が行われるようになったのに対抗し、神道により、神前結婚式が行われるようになたっとか!日本では、多くの仏教徒が神式やキリスト教式で結婚式をあげる姿見られますが、人前結婚式的要素が残っているから可能なのでしょうか! それにしても、日本人の宗教観は不思議です。本当に宗教といえるのか疑問に思えるほどです。それは、戒律という考えが日本の仏教徒の中に希薄だからです。外国人に「あなたの宗教は?」と聞かれて、平気で「無宗教です!」と答える日本人が多いとか・・・。本人は得意になってそう言っているのでしょうが、世界の一般的な見方からすると、それはすなわち、どの宗教の戒律も守らない破戒者と見られてしまうことになるのです。 イスラム教でもキリスト教でも、信者は神との契約に基づく戒律を守ることを大事なことだと考えます。しかし、日本人の一般的な仏教徒に戒律という意識はあまりない感じがします。社会道徳や家庭内の秩序が守られなくなった時代、仏教徒にとっての戒律というもののを今一度見直す必要があるかと思います。せめて、不殺生戒だけでも・・・。 御本尊様とご先祖様を祀る仏壇が、それぞれの家にある日本の暮らしって、今の時代にこそ重要なことだと思いませんか?弟が兄を殺し、子どもが両親を殺す悲しい事件が起こるこの時代、正しく生きることを誓って下さい。それぞれの家にある仏壇の前に静かに座って・・・。 そして、7月、8月はお盆の季節、家族そろってお墓参りをしながら話をするのも意義深いことだと思います。今年も暑くなりそうですが、健康に留意して楽しい夏をお過しください。
2005-07-01 | Posted in 月々の法話Comments Closed 

 

三十三回忌は最後の追善供養

5月28日、32回目の祥月命日に、亡き父でもある先代住職の三十三回忌追善供養を厳修致しました。年忌というのは、亡くなった年を含めて数えていきますので、32年目が三十三回忌になるのです。 今まで父の年忌供養は、他の法要にあわせて行ったり、家族・親族のみで行ってきましたが、三十三回忌は最後の追善供養ですので、父の友人や、当時の関係者、それから檀家総代の皆様にも参列して頂きました。みなさんの記憶が薄れているのではと思い、11名の方から文章を寄せていただき、当時の写真を交えて追悼誌を作成し参列の皆さんにお配りしました。パソコンとコピー機での手作りでしたが、私も知らなかったいろいろなエピソードや懐かしい写真は参列の皆さんに好評でした。当時の写真を見ると、32年前、中2だった私も含め皆さん若かったし、亡くなった方も大勢います。 兼務住職を務めていただいた永源寺の中村大信老師、初代護持会長の藤田宗太さん、副会長の斎藤正一さん、会計の藤田欣さんなど、当時の檀家総代の皆さんには感謝の気持ちでいっぱいです。10年後には私を住職にするという目標をたてて、全員一致結束して、私たち家族を支えてくれました。 斎藤さんはお寺の仕事を手伝いに来てくれては、母や私たちにもよく冗談を言って笑わせてくれて、その笑いによって気持ちがだいぶ楽になった気がします。 近所の高安均さんは、朝の6時に必ず来てくれて鐘を撞くのに付き合ってくれました。寒い日や雨の日、サボりたくなっても、高安さんが来てくれるので私も頑張れました。また、近所の檀家総代でもあった藤田豊治さんは朝採りのキュウリを持って毎朝のように様子を見に来てくれてました。もう、皆さん亡くなってしまいましたが、そうした多くの人の支えによって今の自分があるのだと思います。 詠讃師の方と梅花講の方に追善供養御和讃、報恩供養御和讃等を献詠していただき、さらに、参列の皆さんにも僧侶と一緒に「妙法蓮華経観世音菩薩普門品」を読んでいただき供養いたしました。読経の中、懐かしい方々に焼香されて父も喜んでくれたと思っております。檀家総代22名の方も全員参列してくれて、設斉の席でも最後まで全員残ってくれました。挨拶で皆さんの席を回っていると、「座って一緒に飲もう!」と椅子を譲ってくれた総代さんもいてありがたく感じました。 三十三回忌で追善は終り、50回忌は報恩供養になります。その時、また皆さんにお目にかかりましょう・・・。
2005-06-01 | Posted in 月々の法話Comments Closed 

 

こんな親孝行って素敵ですね!

一月の法話で紹介した隣のおうめさんのお話しの続きです。おうめさんは、同居していた息子さんとお嫁さんが相次いで亡くなり、当時16歳だった忠正さんたち三人のお孫さんと暮らすことになりました。昭和37年のことです。弟さんたちはやがて就職し外へ出て、私が良く遊びに行っていた頃は、おうめさんが留守番し、近所に住む忠正さんのいとこのしげちゃんがおうめさんのお世話をするという状況の頃でした。 やがて、忠正さんが結婚することになりました。昭和48年4月29日のことです。そのおめでたい結婚式の日に、おうめさんは93歳の長寿を全うし旅立っていきました・・・。忠正さん夫婦は、結婚披露宴もそこそこに、おうめさんの葬儀となってしまったので、ゆっくりと結婚を祝うことができなかったのです。 その想いをお母さんから聞いた忠正さんの息子圭太郎くんは、結婚式をあげるなら4月29日にしようと思ったそうです。お父さんとお母さんは、ゆっくり結婚を祝うことが出来なかったけど、おなじ日に結婚すれば、お父さんお母さんの結婚記念日に一緒にお祝いできると考えたそうです。そして、平成17年4月29日、圭太郎くんは以前より交際していた彼女と結婚しました。 圭太郎くんがまだ小さい頃、一緒に散歩したり、毎日のように境内でキャッチボールをしたりしてました。また、月例坐禅会へも休まず参加し、私が結婚するまで月例坐禅会の前の晩は、一人で泊まりに来て一緒に寝てました。 その圭太郎くんが立派に成長し結婚したことはとても嬉いことです。それにもまして、そんな想いを実行に移せるまで人間として成長したのかと思うと胸がいっぱいになりました。その想いを知って、出席した皆さんも、なによりお父さんとお母さんが一番ビックリされたようです。 親への感謝の気持ちを自分たちの結婚式で実現した本当に素敵な心暖まる結婚披露宴でした♪
2005-05-01 | Posted in 月々の法話Comments Closed 

 

愛・地球博「サツキとメイの家」

愛知万博(愛・地球博)が始まりました!ロボットや立体映像、マンモスの化石といったところが人気を集めていますが、多くの展示物の中で子供たちに大人気なのが、「となりのトトロ」に登場した「サツキとメイの家」を再現したものだそうです。 古い農家に洋風の二階建てを建て増した特異な外観だけでなく、中もアニメそっくり再現したそうです。昭和30年代を思い起こさせる道具の数々、手押しポンプで水を汲み上げ、土間にカマドのある炊事場。鉄釜を薪で沸かす長州風呂。四畳半には丸い折りたたみ式のちゃぶ台。暗い部屋の隅からは「まっくろくろすけ」が現れそうな雰囲気だとか! それはまさに、私が子供の頃にはあたりまえに見られた風景でした。井戸から手押しポンプで水を汲んだり、ご飯を炊くのもお風呂を沸かすのもみんな薪を使っていました。 丸い五右衛門風呂に身体を寄せ合って入浴し、父親からいろんなことを話してもらったことが思い出されます。父親は私が中2の時亡くなってしまったので、一緒にどこかへ行ったとかという思い出はそれほどありませんが、一緒にお風呂に入りながらいろいろな話をしたことがとても懐かしく感じられます。ぬるくなったら追い焚きをし、熱くなり過ぎたら水を足す五右衛門風呂。底にも板を沈めてはいる原始的なお風呂ですが、とても身体が温まりました。我が家でも、今は、スイッチ一つで自動的にお湯が湧くゆったりしたお風呂になりました。湯船は変わっても、お風呂の中でこども達といろいろな話をするふれあいを大切にしたいと思っています。 愛知万博の「サツキとメイの家」は外から見るのは自由ですが、中に入るには予約が必要だそうです。1日800人が定員で、4月分はすでに一杯だそうです。ちなみに、5月分は4月1日、午前10時からコンビニエンスストアの「ローソン」で予約できるそうです。6月分は5月2日からの予約受付だそうです。 詳しくは、↓ 「愛・地球博」の公式ホームページで! http://www.expo2005.or.jp/ 追記-サツキとメイの家の予約方法が変わりました。ネットオークションへ出されるなどしたためはがきでの申し込みになりました。詳しくは公式ホームページで・・・
2005-04-01 | Posted in 月々の法話Comments Closed 

 

環境問題と京都議定書

いよいよ京都議定書が発効する運びとなりました。アメリカ合衆国や中国が参加していないなど、いろいろ問題は残されてますがとりあえず一歩前進かと思います。 地球温暖化は、我々地球上に住むすべての生物にとっての大問題です。このまま温暖化が進めば、多くの生物が絶滅し、異常気象の大幅な増加などの天候への影響も計り知れないものがあります。実際に影響が出るのはまだまだ先で自分達には関係ないと思っている人もいるかと思いますが、このまま地球環境の破壊が進んでいけば、今の子供たちが中年になる頃には確実にその影響が出ていることでしょう。 そのような問題を伝えるテレビ番組を見ていると、冬だというのに出演者は半袖です。「テレビ局の中の暖房の設定温度を冬の間ぐらいは低くおさえたらどうか!」と思っている人は私だけではないと思います。 あまりに暖房の効きすぎているデパートやテレビ局、自分は関係ないと思っていては、問題は解決しません。まず、今、自分のいるところの暖房の設定温度を適正にする。近い距離なら車を使わず、自転車を利用したり歩いていく。一人一人の意識改革、一人一人の取り組みが22世紀の地球環境に現れるのではないでしょうか。いま生まれた赤ちゃんが96歳になる時はもう22世紀なのです。
2005-03-01 | Posted in 月々の法話Comments Closed 

 

『坂の上の雲』

今年は、日露戦争が終結してちょうど百年になります。昨年、兵庫県を特派巡回中にある教区のご老僧より、「あなたは『坂の上の雲』を読んだことがあるかね?まだ、読んでいないなら読んでおいた方が良い」と言われました。文庫本で八巻ある司馬遼太郎作の長い小説です。秋山好古、真之兄弟の生い立ちから、日露戦争での活躍などが描かれているのですが、当時の世界情勢もよくわかる本ですがやっと先月読破しました。 これまで、日露戦争というと、日本がロシア帝国に勝った戦争という認識でしか無かったのですが、実際は、極東で南下政策を進めていた帝政ロシアを、国家の存亡を賭けて、何とか食い止めた戦争であったこと。国家財政の6年分を戦費に費やし、それを外国債でまかなうという綱渡り状態の中、国債を外国に買ってもらうためにも、戦果をあげていかなければならない大変な戦争だったということがわかります。そしてなにより、13,000人といわれた日清戦争の戦死者をはるかに上まわる90,000人といわれる信じられないほどの犠牲を出し、砲弾が足りなくても、さらに前進して、勝っていることを示さなければならないという悲惨な戦争でした。 乃木希典が指揮した旅順攻略戦は、そこだけで、六万人の死傷者(戦死者15,000人)を出し、191日に及ぶ長い攻防戦の末、やっと陥落させたものの、鬼神と評された乃木将軍自身もこの戦争で二人の御子息を失っております。あらためて戦争というのは勝った負けたではない、そこにいた人だけが分かる悲しくてつらい現実があることを感じました。 日露戦争は、戦前の軍国主義教育の中で、過大に評価され、軍国主義を煽ったということがあった一方、戦後の政治や報道の中では、正しく評価されていない側面もあります。やはり、史実を正しく認識することは、未来を築いていく上でとても大切なことだと思います。 すでに、太平洋戦争での敗戦から60年、日本では戦争というものの記憶が薄れつつあります。今日も、梅花講員さんで、満州で生まれ、戦後引き揚げてきた方に、満州事変当時の、ハルピンや奉天の話を聞くことができました。多くの犠牲の上に今の日本があることを、戦争で亡くなった方々の想い、戦争を生き抜いた方の苦労話を次の世代に伝えていく必要があると思います。
2005-02-01 | Posted in 月々の法話Comments Closed 

 

おとうちゃんになりたい!

平成16年は、幼児虐待や児童による殺傷事件、児童誘拐などが起こり、子供を育てていくことへの社会の取り組みの必要性が言われました。 少し前の時代の日本では、子供は地域社会で育てていたといえます。そういえば、私も小学校へ入る前、近所の人たちに面倒を見てもらっていました。物置小屋の脇を抜けていくと、そこには90歳くらいの「おうめさん」というおばあさんが住んでいました。私が行くと「めんこいな~(かわいいな)、めんこいな~」と声を掛けてくれました。新しい服など買ってもらったら、真っ先におうめさんに見せに行ったものです。また、友達と遊んでいて悪ふざけをしていると、近所の人に注意されました。そうした中で、知らず知らずのうちに、物事の善悪を学んだのだと思います。 この頃、4才の息子が、「何になりたいの?」と聞かれると、「おとうちゃんになりたい!」と言うようになりました。ちづこは、「ママみたいになりたい!」と言います。親としては何より嬉しいことです。やんちゃでいたずらやケンかばかりしていますが、元気が何よりです。 子育ては楽しいものです。そして、子供というのは多くの人とのかかわりの中で育っていくことが大切だと感じました。一人一人の努力で、子供たちを安心して育てていける社会を築いていきたいものです。
2005-01-01 | Posted in 月々の法話Comments Closed 

 

みんなちがって、みんないい

山口県長門市仙崎は、詩人の金子みすヾさんが、生まれた所です。小学校の教科書にものっている「私と小鳥と鈴と」という詩を紹介します。
私が両手をひろげても、お空はちっとも飛べないが、 飛べる小鳥は私のように、地面(じべた)を速くは走れない。 私がからだをゆすっても、きれいな音は出ないけど、 あの鳴る鈴は私のように たくさんな唄は知らないよ。 鈴と、小鳥と、それから私、みんなちがって、みんないい。 【JULA出版局 金子みすヾてのひら詩集・2より】
この、「みんなちがって、みんないい」という言葉は、なんと心地よく心に響くのでしょう! 金子みすヾさんが生まれたのは、明治36年(1903年)です。あの時代にこの様な発想を持っていた人がいたということに驚きます。当時はあまり評価されなかったようですが、最近になって再評価され、仙崎には、「みすヾ通り」や「金子みすヾ記念館」などもできました。 曹洞宗でも、金子みすヾさんのことを酒井大岳老師が本や講演で紹介しています。 けっして、幸せな人生を送ったとはいえない金子みすヾさんですが、生み出した詩の数々は、現代人に生きる力を与えてくれています。
2004-12-01 | Posted in 月々の法話Comments Closed 

 

親思う心にまさる親心

10月に、梅花の特派巡回で山口県へ行きました。下関から小野田、萩、田万川といった所を回りました。萩へ行くのは今回が三回目になります。長州藩の本城、萩城のあった萩市は、明治維新の魁となった所です。吉田松陰が開いた松下村塾,そこは若い長州藩士達が志を学んだところです。 「親思う心にまさる親心 今日のおとずれ、なんと聞くらん」この歌は、安政の大獄で刑死させられた、吉田松陰が故郷の両親に送った辞世の歌だといわれています。私は、高校の修学旅行で萩を訪れた時、この歌を知り、お土産にその歌の書かれた絵馬を買い求め、机の上に飾りました。 自分の命は自分だけのものではない、大切にしなければ!とこの歌を心に刻みました。私が、中学二年の時、父は急逝しました。その時母は、39歳でした。厳しい母に反抗することも多かった少年時代、この歌に接し、母の本当の思いがわかったような気がしたのです。 また、巡回の終った翌日、長門市の仙崎へ行きました。仙崎は、戦後大陸からの引揚者や復員兵が、上陸した港です。引揚港であった事を示す、「この様なことが二度とあってはならない!」という、長門市長の言葉が刻まれた記念碑がありました。 数々の苦難を乗り越え、母なる日本の大地に戻って来た方々の心を思うと感無量です。また、遥かな異国の地で、親を思いながら、故郷を思いながら亡くなっていった方々のおもいの数々も、私たちは伝えていかなければと思います。
2004-11-01 | Posted in 月々の法話Comments Closed