月々の法話

月々の法話

人生に余生はない


「定年まで勤め上げたので、余生はノンビリ過ごしますか!」などという言葉を聞くことがあります。 ところで、余生ってなんでしょうか?人生の余った生? 道元禅師は、「正法眼蔵」生死(しょうじ)の巻の中で、「生を明らめ、死を明らむるは、仏家一大事の因縁なり」と書かれています。一生をかけて求めていくテーマ「生」に余るところなどないなずなのです。 日本も、これから高齢型社会になっていくことが予想されます。生きがいをもって、余すところなく、人生を楽しく過ごしてもらう為にも、社会奉仕は重要なことだと思います。 久慈川の名勝「たきなご」を眺められる国道118号線のロードパークは、地元久野瀬地区の老人会の方が毎週清掃活動をしています。おかげで、いつも、綺麗に気持ちよく通ることが出来ます。年をとっても、自分で出来ることを、自分なりに勤めていくということが、重要なことだと思います。 お釈迦さまは、80歳で亡くなられるまで、説法の旅を続けられました。余生をノンビリなどとは考えなかったでしょうね。
2003-10-01 | Posted in 月々の法話Comments Closed 

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