月々の法話

月々の法話

とらわれない心


 今年に入ってからも、凶悪事件が多発し、殺伐とした世相を感じます。一月だけで昔だったら年間10大ニュースに入るだろうな!と思われる事件がいくつもありました。

 さて、お釈迦さまがインドの大地で説かれた仏教は、やがて、大乗思想の登場で劇的な変化を遂げます。その中で、涅槃経、唯摩経、それにぼうだいな般若経典群が編み出され思索が展開されます。

 大乗仏教の特徴は在家主義と「空(くう)」の思想にあらわれてます。この教えは、経典を持ち帰った羅什三蔵や玄奘三蔵によって訳され、中国へと伝えられます。彼らは、そのお経を従者を使わず一人で背負って来たというから驚きです。

 やがて、時代が過ぎて、達磨大師によって、禅宗と呼ばれる大乗仏教が伝えられます。禅宗では「無(む)」の思想が重要視されます。中国禅宗では、空や無についての思索が広がり、禅問答という形で展開されていきました。

 史上の初の禅問答は、梁の武帝と達磨大師の問答です。「いかなるかこれ聖諦第一義(しょうたいだいいちぎ)」と聞かれたのに対し、達磨さまは、「廓然無聖(かくねんむしょう)」と答えます。仏教の一番重要なところを問われて、[からっとしていて何も無いよ!」と答えた達磨大師。しかし、武帝はその意味を理解できず、達磨大師は、少林山で壁に向かって九年間坐禅をします。そうした中で達磨大師は二祖慧可大師を得ます。やがて、一華五葉に開くと評されるように達磨大師の教えは、中国各地に広まり一種の禅ブームの時代が訪れます。

 その中で多くの禅問答が交わされました。禅問答は、対機説法でもありますので、正解はひとつとは限りません。おなじ問をされても、相手によって答えが変わったり、同じ人に対しても違う答え方をしたりします。また、一喝したり、棒をふるったり、物を壊したり、相手を馬鹿にしているようにも見えますが、そこには、とらわれない自由な心を培うための愛情があります。

 先月の山寺日記で4回に渡って禅問答についての理解を深めていただく為の記事をアップしました。よかったら御覧下さい。

住職のブログ「山寺日記」 

「今、ここに生きる」  「金剛般若波羅蜜経」  「いずれの心に餅を点ずるか!」  「荷物をおろしてみるのも」

 禅問答というと、普段の生活に関係ないと思われるかもしれませんが、ひとつのことに、考えがこりかたまり、回りが見えなくなっている人たちをみると、「もっと自由な、とらわれない発想が出来ないかな?」と思ったりします。禅語には「本来無一物」という言葉もありますし・・・

2007-02-01 | Posted in 月々の法話Comments Closed 

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