月々の法話

月々の法話

嫌なニュースが多い世の中ですが


 7月も、大きな地震、局所的な豪雨による水害が起きたり、、、無差別殺傷事件など痛ましい事件が起こりました。犯罪自体は減少傾向にある中で、世間を賑わすような事件が起こるのはなぜでしょうか。かけがえの無い人を失った方の気持ちを考えると、とても他人事のように思えません。先月は東京へ行く機会が三度ほどあったのですが、ある駅で電車を乗り換えようとすると、ホームで騒いでいる声が聞こえてきました。すでに反対方向へと降りるエスカレーターに乗っていたので詳細はわかりませんが、誰かが大声で怒鳴っていたようです。このように何かをきっかけに、公衆の面前で、回りの人に怒りをぶつける人が多いと聞きましたが、それを、目の当たりに見ると本当に嫌な気分です。

 無差別殺傷事件の犯人が口にしたという「誰でもよかった。」「親を困らせてやりたかった。」という理由、子供じみていると思いませんか?親を困らせようとダダをこねるのは小学校低学年まででしょう。少なくても成人した人間が言い訳にできる言葉ではありません。このあたりに、家庭での親子の関わりにおいてうまくいかなかった部分、お互いに理解し合えなかった部分が見えてきます。

 今の時期、刈り込んだサツキの新芽が伸びてふぞろいになる時期です。手作業で切りそろえるのですが、植木の手入には、人を育てるということに似たところがあります。無関心、放任は一番悪い結果を生みます。人間も同じで自由放任主義で育った人は自分勝手になりやすいのです。木全体を見てハサミを入れて刈りそろえなければ植木は形になりません。ハサミを入れるという作業が大事なのです。
 それから、新芽を出すのには適切な施肥が大事です。これは土作りでもありますが、肥料がないと元気のよい新芽は伸びてきません。それから、太陽の恵み、水やりも欠かせません。自然の恵みがなければ植物は立派に成長できません。これは、人を育てる時には回りの人の愛情に当るのではないでしょうか。
 病気になったり害虫がついてしまった時は、早めに薬剤散布をする必要があります。放置しておくとあっという間に葉が無くなったり、変色して落ちてしまいます。
 過保護、過干渉も成長を妨げます。いつも愛情を持って見て、言葉をかけて、それでいて自主性を育んでもらう。実際に人と向き合うと難しいことですが、時には自分が子供の頃にした失敗談などを同じ目線で話しをしてやると、ギクシャクしていた関係がうまくいったりします。親や回りの人に逆らったりするのは、いわば成長の証しでもあります。子供はそうした葛藤の中で心を育てていくのです。植木はすぐに応えてくれますが、人間としての成長の結果が出るまでには長い時間が必要ですね。長い目で余裕を持って見守ってあげたいものです。

2008-08-01 | Posted in 月々の法話Comments Closed 

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