月々の法話

月々の法話

親を泣かせてはいけないと思う


 先日、とある葬儀の後、司会を務めた方が、僧侶控え室に挨拶にみえられました。いつもなら、「お疲れ様でした。お陰で無事終了しました。」 という感じの通りいっぺんですむのですが、この日は違いました。というのもこの日は三十代で亡くなった息子を送る喪主がその人の父親だったからです。
 「長寿を全うしての葬儀も、若くして亡くなった方の葬儀も悲しいことに変わりはないと思うのですが、若い人の葬儀は本当につらいです。」と話し出し、しばらく、今まで経験してきたつらい別れの場面を話してくれました。親が喪主となる場合ですが、事件に巻き込まれての不慮の死、事故、病気、自殺などがあります。その中には、どうしようもなかったこともあるだろうし、避けられたかも知れない死もあります。いずれにしても、子を送らねばならない親の心情を思うと胸が痛くなります。司会をしていても、涙が止まらなくなるときがあるそうです。その思いは僧侶も同じです。そうしたつらい場面に立ち会うさがにある仕事が送りに携わる人達なのです。

 「親思う 心にまさる 親ごころ きょうのおとずれ 何と聞くらん」

 幕末の志士吉田松陰が故郷の両親に思いを寄せて詠んだ歌です。我が子の訃報を聞く親の辛さを忘れてはいけない。どんなに辛くても帰るふるさとある。暖かく迎えてくれる人々がいることを忘れないで欲しいと思います。その思いを胸に一日を大事に送って欲しいと願っています。
 4月は、巣立ちの季節です。親元を離れて新しい暮らしを始めた若者達へ今月の法話は贈りたいと思います。  

2009-04-01 | Posted in 月々の法話Comments Closed 

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