月々の法話

月々の法話

本来無一物


ある布教師さんが、大本山総持寺の板橋興宗禅師とお話をした時、「自分の寺」という表現をしたら、禅師さまが不審そうな顔をしたという話をされていました。その布教師さんは、見識の高い方ですので、「自分の寺」という表現が、間違っていたことにすぐ気づかれて冷や汗をかいたそうです。 仏教では、自分の所有物は何もないと考えます。「本来無一物。」 寺どころか、自分の身体さえも仏様からの借り物と考えます。「縁あれば即ち住し、縁無ければ去る」これが禅僧の生き方です。 私たちは、何の疑問も持たず、土地を買ったり相続すれば、自分の土地だと思っていますが、地上に境界線が引かれている訳ではありません。ですから、動物達は、人間の決めた境界など気にせずに歩き回ります。人間だけがかってに自分のものだと思っているだけで、他の大多数の動物にとっては関係ないことなのです。 世界地図には、国境線が引かれていますが、宇宙から地球上を見るとそんなものが見えるはずはありません。地球は人間だけのものではないのです。地球上に暮らすすべての生き物にとって大切な母なる星なのです。そして、その地球は我々に限りない恵みを与えてくれます。無尽蔵の恵みです。 「無一物中無尽蔵」いつまでも無尽蔵な恵みを与えてくれる存在であるよう私たち人間は考えていかなければならないでしょう!
2002-05-01 | Posted in 月々の法話Comments Closed 

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