お知らせ

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お見舞いは癒しの心で

お見舞いに行くのに、大安とか仏滅は気にするのに、相手の気持ちを考えない人が多いようです。 実は、大安の日は、お見舞いの人が殺到したりして患者さんや付き添いの人が疲れる日でもあるのです。 また、自分の都合だけを考えて、手術の前後にお見舞いに行く人がいますが、これも避けたいことです。 入院患者の家族に連絡して、相手の都合を聞いてから、お見舞いに行くのが常識です。 長い時間病室にいて話し込んだり、患者さんの気持ちを害する言葉も慎まなければなりません。あらかじめ、面会時間を決めておいて、その時間になったらすぐに立ち去るのが礼儀です。 それから、病室に入るにあたっては、感染症やウイルスを持ち込まないためにも、消毒や、病気を持ち込まないための注意が必要です。 病気に苦しむ相手の心を癒し、慰める言葉や、手紙などを準備していくと良いでしょう! お見舞いは義理で行くのではなく、相手を元気づけるために癒しの心で行ってください。
2002-08-01 | Posted in 月々の法話Comments Closed 

 

授戒会の勧め

戒名は死んでからつけてもらうと思っている人が多いのではないしょうか。実際、お寺さんに相談に行ったら、戒名は死んでからでいいんだ!と言われたという話を聞きました。私たち曹洞宗ではそういう考えをとりません。総授戒運動といって、檀信徒の皆様に授戒会に参加していただき、戒名を受けていただこうという運動を長い間進めてきているのです。 さる、6月6日~10日まで、高萩市の玖台寺を戒場に、茨城県宗務所主催で県内では20年ぶりの受戒会が開催されました。戒弟となった方々も、随喜寺院も感動の完戒となりました。 受戒会は、仏弟子として、生まれ変わる儀式でもあります。ただ戒名を受けるというよりは、仏弟子として本当の生き方に目覚める式でもあります。 両本山では毎年、地方僧堂でも随時授戒会が行われています。また、それぞれの寺院でも受戒会が開催されると思いますので、是非一生に一度は、戒弟の位についていただきたいと思います。 一度戒弟を体験した人は、大変だけどもう一度と思うそうです。皆さんも感動を味わってください。
2002-07-01 | Posted in 月々の法話Comments Closed 

 

人生に感謝する!

6月6日は、私の本師、永源寺前住職中村大信老師のご命日です・・・。老師は、「大子の生仏」と呼ばれるほどおだやかで、人々に親しまれた方でした。 昭和5年に大信老師の父である中村大典老師が亡くなり、私の祖父出村信界方丈が永源寺兼務住職を務めました。やがて、永源寺は、長兄の中村大栄師が継いだのですが、昭和13年に戦死された為、大信老師が一人前になるまでということで再び祖父が兼務住職を務めたという経緯がありました。 また、龍泰院では昭和48年に私の父英信和尚が亡くなり、私が一人前になるまでの10年間、今度は、大信老師に龍泰院の兼務住職を務めていただきました。ですから、龍泰院と永源寺は二代続けて兄弟弟子ということになります。 そうした波乱万丈ともいえる人生を送った大信老師でしたが、けっして文句などを言わない人でした。雨が降ると文句を言い、暑くなればなったで文句を言うのが普通です。しかし、雨に感謝し、雨を楽しみ、汗をかくことをいとわないのが老師の生き方でした。人生の最後の時、苦しみの中で、弟子の信光さんに書き残した言葉は、「人生は楽しかった。」というものだったそうです。 何不自由なく暮らしていながら、口をつくのは愚痴ばかりという人っていますよね!自分のことは後にしても、人のために生きたすばらしい老師の人生を少しでも見習いたいと思っています。 多くを語らずとも、その生き方そのままがすばらしい説法になっている。良く手入れされた庭が訪れる人に禅を説いている。「無言の説法」こそ「無上の説法」である。うしろ姿で人を導ける僧侶でありたいものです。
2002-06-01 | Posted in 月々の法話Comments Closed 

 

本来無一物

ある布教師さんが、大本山総持寺の板橋興宗禅師とお話をした時、「自分の寺」という表現をしたら、禅師さまが不審そうな顔をしたという話をされていました。その布教師さんは、見識の高い方ですので、「自分の寺」という表現が、間違っていたことにすぐ気づかれて冷や汗をかいたそうです。 仏教では、自分の所有物は何もないと考えます。「本来無一物。」 寺どころか、自分の身体さえも仏様からの借り物と考えます。「縁あれば即ち住し、縁無ければ去る」これが禅僧の生き方です。 私たちは、何の疑問も持たず、土地を買ったり相続すれば、自分の土地だと思っていますが、地上に境界線が引かれている訳ではありません。ですから、動物達は、人間の決めた境界など気にせずに歩き回ります。人間だけがかってに自分のものだと思っているだけで、他の大多数の動物にとっては関係ないことなのです。 世界地図には、国境線が引かれていますが、宇宙から地球上を見るとそんなものが見えるはずはありません。地球は人間だけのものではないのです。地球上に暮らすすべての生き物にとって大切な母なる星なのです。そして、その地球は我々に限りない恵みを与えてくれます。無尽蔵の恵みです。 「無一物中無尽蔵」いつまでも無尽蔵な恵みを与えてくれる存在であるよう私たち人間は考えていかなければならないでしょう!
2002-05-01 | Posted in 月々の法話Comments Closed 

 

花祭り!命の重さを感じる季節!

桜が咲くと思い出すのは、四年前の4月11日に起きた。袋田地区、諏訪神社の大祭で起きた交通事故です。五名もの尊い命が失われました。亡くなった方々は、私にとっても大切な地域の先輩であり、友人でした。 年月が流れると、人々の記憶はうすれ、悲しみも和らいでゆきます。しかし、大切な人を失い、人生を大きく変えられてしまった人達の苦悩はけっして消えることはありません。未だに遺族の方々は、事故現場の近くを通るだけで、事故当時を思い出し、胸が締め付けられるような苦しみを味わっているのです。 また、素朴なこの地域の人は、事故は加害者が一方的に悪いにも関わらず、「私にも何か責任があったのではないか!あの時違う行動をしていれば事故にあわずにすんだのではないか」と自分を責めてしまうのです。 私は、「そんなことは決してありません。悪いのは加害者であって、被害者にも、その家族にも何の落ち度もありません。胸をはってください。」と関係の皆さんには言っています。そして、事故の被害を乗り越えて、強く生きて行って頂きたいと思い、励まし、陰ながら応援しています。 お釈迦様は、すべての生きとしいけるすべての命の尊さを説きました。すべての命は、遥か昔から延々と続いてきた限りなく尊いものです。花祭り、誕生仏に甘茶をかけて、今一度命の大切さについて皆さんで話し合ってください。
2002-04-01 | Posted in 月々の法話Comments Closed 

 

雪裏の梅花只一枝

1225年(嘉禄元年-宋の宝慶元年)5月1日、道元禅師は、天童山において、はじめて如浄禅師にまみえた。 道元禅師は、その時のことを、『正法眼蔵-面授の巻』で、如浄禅師ははじめて道元を見るや、手をとり顔と顔をあわせてこれで、仏仏祖祖の面授がなったのだよと仰せられた。それは、とりもなおさず、お釈迦様とマハーカッサパの「拈華微笑」、達磨大師と慧可大師の「得髄」、五祖弘忍と六祖慧能「伝衣」に他ならないと申されたとしるしてある。厳しい坐禅修行を続けた道元は、9月18日如浄より仏祖正伝の大戒を受けることになるが、如浄禅師は道元を一目見た時に、この日がくることを予測していたのだろう。 如浄禅師は、「雪の中でほんの一枝咲いた梅の花が、天童山中に良い香りを漂わせているよ!・・・」と詩によんでいる。道元の伝えた正法の眼目は、多くの人の手をへて、日本中へ、世界中へと広がっていった。 いよいよ今月から道元禅師七百五十回大遠忌法要が10月まで奉修される。今、この時代だからこそ、たくさんの人に道元禅師の教えにふれていただきたいものだ。
2002-03-02 | Posted in 月々の法話Comments Closed 

 

アフガニスタンのこども達へ

今年も「布袋様は元気な子供たちが大好き!」をスローガンに布袋尊例大祭第16回なわとび大会を開催しました。また、今回は、「アジアの人たちを支援するお手伝いをしよう」というテーマを掲げました。 こども達のご祈祷がおわり、表彰式を前に、「おなかいっぱい食べられること、学校で勉強ができる日本のこども達は、恵まれていることを実例をあげてお話しました。」にぎやかな子供たちも、きちんと私の話を聞いてくれました。 日本でも、ほんの50~60年前には、おおぜいの子供たちが栄養失調や、感染症で亡くなったという悲しい時代があったのです。そして、それを助けられなかった大人の人は、もっと悲しかったのではないかと思うのです。 今、私たちにできることは、世界中の困っている子供たちに手を差し伸べることではないでしょうか。 今回の募金は、アフガニスタンへの緊急募金を行っているシャンティ国際ボランティア会(SVA)に送金しました。東南アジアやアフガニスタンで活躍しているNGO団体、シャンティ国際ボランティア会では、永平寺で一緒に修行をした、三部義道さんが理事として活躍しています。募金箱は、本堂においてありますので、ご協力をお願いします。 シャンティ国際ボランティア会
2002-02-01 | Posted in 月々の法話Comments Closed 

 

お釈迦さまの一番弟子摩訶迦葉尊者 

「われに正法の眼目と涅槃の妙心がある。それとともに僧伽梨衣を摩訶迦葉に付属す。」と道元禅師が正法眼蔵仏道の巻でたたえた、お釈迦様がもっとも信頼を寄せられお袈裟を伝えられた弟子がマハーカッサパである。 マハーカッサパは、頭陀第一とよばれました。頭陀とは、とても質素な生活をして、身と心をととのえる修行のことです。お釈迦様が亡くなられた後、教えを確かめる結集(けつじゅう)という集まりで、彼は、リーダーをつとめました。説法や弁舌にすぐれたわけでなく、けっしてきらびやかではなかったけれど、しっかりとした修行を続けてきたマハーカッサパには、どっしりとした存在感があり、弟子達がついていきました。こうしてお釈迦様の教えは伝えられていったのです。
2002-01-03 | Posted in 月々の法話Comments Closed 

 

親孝行の勧め

12月にはいり、今年も残りあと一月となりました。年末・年始を故郷で過ごす人も多いと思います。ところで、親孝行ってどうすればいいのでしょうね? 私は、「元気だよ!生きてるよ!」これで十分だと思うんです。なにか特別なことやプレゼント、旅行に連れて行ってあげたり、いろいろな親孝行のスタイルはあるでしょうが、その人なりの方法の親孝行で良いと思います。 私の父は12月29日が誕生日です。健在の時は楽しい日でしたが、亡くなってからはつらい日になってしまいました。今は、自分が頑張れれば父も喜んでくれるんじゃないかと考えています。亡くなった父への親孝行は供養することも大事だと思いますが、「元気に頑張って毎日暮らしている」それが何よりの親孝行だと思うのです。 世の中で成功するのも親孝行かもしれません。親を亡くした人でも出来る親孝行です。事業に失敗したり、失業したり、失意の中で暮らす日々もあるでしょう!そんな時でも、故郷に帰って親に甘えてください。「生きてるよ!元気だよ!」私は、それでも十分な親孝行だと思うのです。
2001-12-02 | Posted in 月々の法話Comments Closed 

 

天国の慎悟くんへ 

慎悟くん!今日は、大子養護学校で餅つき会があり、私もお手伝いに行ってきました。君の後輩たちと餅つきをしたり、一緒にお餅を食べたり、遊んだりして楽しかったよ!私と早川さんの坊主頭はけっこうこども達にうけました。 慎悟くんが通っていた頃は、まだ大子に養護学校が無かったので、遠くまで通って大変だったよね。 慎悟くんと私が会う時は、たいがいお葬式や法事の時だから、君の笑った顔をあまり見た記憶が無かった。だけど、偶然、私の車の前を走るお母さんの車に乗っている慎悟くんを見かけたことがあるんだ。その時の慎悟くんはとても楽しそうに笑っていたね。お母さんの車に乗るのは、とても楽しかったんだろうね、お母さんも笑っていたね!喘息の発作で苦しそうにしていたり、家の中を移動するのも大変そうだったけど、やさしいお母さんと一緒に過ごした君の人生は、けしてつらいものではなくて、楽しかったんだろうな!あの笑顔を見た瞬間、私の考えが大きく変わりました。 あなたの、お葬式の時、車椅子に乗ったりして、友達もみんな来てくれたね!友達のお母さんもおおぜい来てくれました。みんな、君とのお別れはつらそうだったようでした。 あれから、早いもので今年はもう七回忌の年になりました。慎悟くん安心してね!お母さんは、毎日元気で過ごしてますよ。慎悟くんも天国から大好きなお母さんのこと見守ってあげてね!
2001-11-02 | Posted in 月々の法話Comments Closed 

 

慕古の心

道元禅師の750回大遠忌まで、あと一年となりました。今年は、一年前に勤められる予修法要が日本各地で、世界各地で勤められています。 750年という気の遠くなるよな歳月が流れても、道元禅師が我々に教え示してくれるものは変わりません。「此、一日の身命は、尊ぶべき身命なり、貴ぶべき形骸なり」と、その著書『正法眼蔵』で述べられている通り、一日一日を一生懸命修行として生きることが道元禅師の教えなのです。 永平寺の貫首で、曹洞宗の管長を勤められている宮崎禅師は百一歳です。僧堂まで行くのに時間がかかるからと言って、修行僧よりも早く起きて朝の坐禅に向かうのは、私が修行をしていた十八年前、監院職にあった当時と変わりません。その禅師さまが、今回の遠忌のテーマとしたのが『慕古』(もこ)です。慕古とは、ただ古いものを慕うだけではありません。教えを学び、それを現在に生かし、実践していくことがすなわち慕古なのです。 今も、永平寺では、道元禅師の教えそのままの修行が続けられています。どうぞ、この機会に永平寺を訪れてみてはいかがでしょうか。できれば、一泊して、永平寺のさわやかな風とせせらぎの音にふれていただきたいものです。
2001-10-02 | Posted in 月々の法話Comments Closed 

 

命の重さを感じて

7月23日は功多君の命日、近親者だけで静かに七回忌の法事が行われました。 今から6年前、功多君は、十二歳の時、梅雨が明けたばかり暑い日、友達と川遊びをしていて、水の事故で亡くなりました。愛情込めて育ててきた長男の突然の死に、お父さん・お母さんは、嘆き悲しみ、落胆振りは大変なものでした。お父さんの実家で営まれた葬儀の日は事故のあった日と同じとても暑い日でした。炎天下、同級生が大勢参列し、ご焼香していきました。参列したこども達は、子を失った親の悲しみがどれほど大きいのかを、そして、人が一人死ぬということはどれほど大変なことなのかを、身をもって感じたことと思います。NHKの朝の連続ドラマ『ちゅらさん』で「おばあ」が早く亡くなる子は、『命の大切さを人々に教えるために神様に選ばれた子供なんだよ』と恵理達に語るシーンがありました。身近な人の葬儀に参列し涙を流したり、涙を流す人を見るのは、子供たちにとって、貴重な経験になることでしょう。 お墓が整備されるまでの間、お寺で功多君のご遺骨を預かっていたのですが、毎月23日には、功多君の好きなものを持って、お父さんとお母さんがお参りに来ました。その頃、お母さんの後ろに恥ずかしそうに隠れていた功多君の弟が、今ではびっくりするほど大きくなっていました。一緒にお墓参りに行く時「身長何センチあるの?」って聞いたら、「180センチです。」とたくましく答えてくれました。高校でバスケットボールをやっているそうです。弟に「僕の分まで親孝行してくれよな」という功多君の言葉が聞こえてきそうな暑い夏の日でした。そして、功多君の弟も、お兄さんの死を乗り越え、命の大切さを感じながら成長してきたんだろうなと思いました。
2001-08-01 | Posted in 月々の法話Comments Closed