月々の法話

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天心と六角堂の再建について


 法隆寺や興福寺、我々は、当たり前のようにお参りしてますが、実は、明治の廃仏毀釈で、寺が壊され、仏像が焼かれそうになったそうです。その時、この日本の文化遺産を守るために尽力したので、フェノロサと岡倉天心でした。修学旅行で法隆寺や東大寺、といった奈良のお寺、清水寺や金閣寺といった京都のお寺を参拝してきたこうしょうにもその話をしました。

 映画「天心」の冒頭のシーンで、その惨状をみて、なるほど、これは仏教界にとって、大変な時代だったのだと感じた次第です。龍泰院も明治期には荒廃し、本堂の草葺き屋根は雨漏りしていたそうです。その哀れな姿をみて、再興を志し、袋田の有志に協力をつのったのが、櫻岡源次衛門の孫にあたる、櫻岡三四郎翁です。(桜田烈士、関鉄之介をかくまったのが袋田の庄屋櫻岡源次衛門でした。)三四郎翁は、宮城県から石を取り寄せ、スレートで本堂の屋根を葺きました。私が子供の頃の本堂は、その薄い粘板岩で葺かれた屋根でした。昭和46年に銅板に葺き替えられましたが、四角い石の事はよく覚えています。

 映画「天心」では、天心が東京美術学校を追われ、茨城県の五浦に日本美術院を設立する当時の様子が詳しく描かれていました。天心を守ろうとする連判状が、スクリーンに映された時、櫻岡三四郎という名前をみつけ、まさに、天心と三四郎翁が心を一つにして日本の美術を守ろうとしていたことが拝察できました。五浦で、横山大観、木村武山、下村観山、菱田春草らを育てた天心は、国際交流を進め、日本の文化・芸術を世界に紹介する役目を担いました。

 日本美術院の象徴であった五浦の六角堂は、東日本大震災の大津波で滅失してしまいました。それが今は、創建当時そのままに再建されています。そのお話は、来月また書かせて頂きます。

2014-08-01 | Posted in 月々の法話Comments Closed 

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