月々の法話

月々の法話

道心利行の実践-向き合うということー

 10月14日に大阪巡回へ出発し20日の最終で寺に戻りました。翌日法事などを済ませ、宮城県亘理町荒浜の當行寺様へと向かいました。昨年の7月5日にも慰霊法要で行っているので今回で二度目になります。
  昨年は、境内や墓地にも津波の爪痕が残っていましたが、かなり整備され、本堂が青空に映えていました。
 その當行寺さまの本堂の中には真新しい提灯がたくさん掛けられています。いったい、いくつあるのでしょう・・・

 この地域では、新盆を迎える時、戒名や名前を書いた提灯を上げる習慣があったそうです。しばらく、そうした習慣も行われなくなっていたそうですが・・・、東日本大震災で亡くなった檀家の方の供養のために今回戒名と歿年月日、俗名、享年を記した提灯を新調し掛けたそうです。

 一つ、二つ、三つと数えて・・・、これは、そういう風に数えてはいけないものだと思いました。この提灯一つ一つが、世の中でたった一つの尊いもの・・・。それぞれの人が歩んだ証拠であり、人生そのものなのです。當行寺の住職さんは、提灯を見るたび、そこに書かれた人の姿が頭の中に浮かんでくるそうです・・・

 昨年の7月5日の法要の際、住職さんは、「今は大変な状態ですが、必ず復興しますから、復興した姿を見に来てください。」と言われました。被災地での供養は、別な場所で行うことも考えられましたが、継続することが大事であり、これからの復興の様子を見守ることこそ、被災地の人にとっては、復興へのモチベーションとなり、明日への希望となるのだと思います。そういう意味からも、支援というのは長く続けることが大事なんだなぁ と、改めて感じた次第です。

 特派師範有志では、来年もここに来ることにしました。檀家さんが亡くなった時、一番身近で遺族に寄り添うのが菩提寺の僧侶です。そして、それは、葬儀の時だけ終わるのではありません。百日後、一年後、二年後、ずっとずっとご遺族とともにあってその心に寄り添うのが菩提寺の役目なのです。まさに、それこそが、「向きあう」ということだと思います。

2012-11-01 | Posted in 月々の法話Comments Closed 

 

道心利行御和讃の解説 4

3、生死流転(しょうじるてん)の現世(うつせ)にも
   心(こころ)を澄(す)まし 爽(さわ)やかに
     今日(きょう)の勤(つよ)めを励(はげ)みなば
       菩提(ぼだい)の月(つき)は 宿(やど)るなり
   あなたを信(しん)じ 支(ささ)えあい
     希望(のぞみ)を抱(いだ)き 進(すす)み行(ゆ)く

 道心利行御和讃の解説の最終回です。意味の解説は作詞された遠藤長悦老師にお任せし、別な角度からこの歌詞を味わいたいと思います。「利他行」は実践行です。東日本大震災では被災地へ行って活動する人の姿が多く見られ、それは今も続いています。しかし、いろいろな事情で現地に行けない人もいます。行けなければ何の役にも立たないのかというと、そうではありません。被災地の人々の心の支えには誰でもなれるのです。
 去年、秋田県曹洞宗青年会の法友の紹介でから「ビハーラ」の復興Tシャツの存在を知り、それで、東北復興支援Tシャツを檀家さんにも勧めて、たくさん購入しました。今年も追加購入させて頂きましたが、それは、岩手県大槌町のサッカースポーツ少年団のユニフォームを贈るという支援につながりました。そのシャツを作った印刷業者さんからは、復興支援の「さけ最中」が送られてきました。鮭は、故郷に戻ってくる象徴だそうです。人と人とつながり、「絆」という言葉をあらためて感じた出来事でした。
 「今日の勤めを励みなば」という詞には、我々が毎日勤めていることの大切さが言い表されています。正しい心を保つにはこの日々の勤めが大切です。信じられる間柄であることも大事です。あなたを信じ、支えあって、進んでいきたいものです。希望を抱いて・・・

2012-10-01 | Posted in 月々の法話Comments Closed 

 

道心利行御和讃の解説 3

2、山河自然(さんがしぜん)の厳しさと
   恩恵(めぐみ)に而今(いま)を生かされて
     利他(りた)の功徳(くどく)を積む人の
       花の笑顔(えがお)ぞ美しき
   あなたと共(とも)に  伝えあう
     正しき法(のり)灯火(ともしび)を

 6月に巡回で足を延ばして訪れた礼文島では、海岸付近でも珍しい高山植物がみられます。高山植物は、環境の過酷な標高の高い山で見られる植物ですが、それが、高緯度にある礼文島では、山に登らなくても普通に見られるのです。それは、ただ単に緯度が高いというだけでなく、季節風が吹き抜ける厳しい環境である証拠でもあります。特に、礼文島固有の美しいクリーム色の花を咲かせるレブンアツモリソウ、氷河時代の生き残りともいわれるレブンウスユキソウは島の宝です。そうした、厳しい環境の中で美しい花を咲かせる高山植物、まさに、「花の笑顔ぞ美しき」という言葉が実感できる風景です。人間も齢を重ね、数々の人生の荒波を乗り越えると、それが美しい表情に現れてきます。苦難を乗り越えてきた人は、他人への心遣いが出来る人間になれますし、その経験により強い心を育んでいます。利他行を実行できる心が備わっている人と言えるでしょう。

 昨年、東日本大震災の被災地へ真っ先に阪神大震災を体験した人が支援の手を差し伸べてくれました。津波で被災した寺院の僧侶方が法衣や足袋が無くて困っていると聞いて必要な物を真っ先に取り揃えて送ったのは兵庫県の僧侶の方です。非常時に効果的な支援を行うには、正しい情報を得るのが大事です。大震災の時は、僧侶のネットワークが有効で、支援の輪を広げるのに役立ちました。そして、今も必要な人や場所に必要な支援が届くようにその輪を広げる活動が行われています。ひとつひとつの灯し火は小さくても、その数が増えていけば、世の中を、そして、人の心を明るく照らす光となるでしょう。

2012-09-01 | Posted in 月々の法話Comments Closed 

 

道心利行御和讃の解説 2

1、衆生(しゅじょう)済度(さいど)の誓願(せいがん)に
  常に在(ましま)す 御仏(みほとけ)の
   慈悲(じひ)の光(ひかり)に照らされて
    命 耀(いのちかが)よう 嬉(うれ)しさよ)
  あなたの真前(まえ)に  向き合わん
   利行(りぎょう)の道の 同朋(とも)として

 衆生済度は我々仏教徒の誓願です。その活動をする時、み仏に守られ、み仏の光に包まれた感じがします。歌詞には文語体が多く使われています。「輝く」でなく、「耀よう」とされていますが、短歌などではよく使われる表現です。ひとつひとつの尊い命が、輝いているのです。
 そして、後半の二行は、我々仏教徒が実践を誓う言葉です。そう思っても、なかなか相手の正面にいって向かい合うというのは勇気がいるものです。利他行を志す人へ、今こそ行動するんだと勇気を与えてくれるメッセージになってます。この和讃を作詞されたのは元特派布教師で千葉県の遠藤長悦老師です。布教師として全国を回った経験が歌詞にも生かされています。今回、北海道を特派巡回する中で、千葉県での特派巡回を終えて苫前に戻られた特派布教師の坂川資樹さんとお蕎麦を食べながら懇談することが出来ました。特派布教師さんは、今年、巡回に出る前に福島県に行き、原子力発電所の事故影響などを見てきたそうです。 まさに、「向き合う」という姿勢が見える自主的な行動だと思いました。私も、「あなたの真前に 向き合わん」という言葉を胸に進んでいきたいと思います。

2012-08-01 | Posted in 月々の法話Comments Closed 

 

道心利行御和讃の解説 1

 北海道第三宗務所の梅花流特派巡回で稚内、利尻、中川、留萌方面を回ってきました。巡回中の一週間は天候に恵まれました。利尻富士の雄姿を見ることができました。そして講習では、 5月29~30日に開催された、梅花流創立60周年記念奉詠大会で発表になった「道心利行御和讃」などを講習してまいりました。

 北海道へ行くのは今回で8回目です。初めて行ったのは大学4年の時、今から30年前になります。京都の法友と車で北海道を半月かけて一周しました。道内の後輩のお寺などに泊めてもらいながらぐるっとまわり、果てしない大空と広い大地にふれて、心も少し大きくなったように感じた旅でした。
 その時、苫前の晃徳寺さまから宗谷岬へ向かう途中で見た利尻富士が忘れられず、いつかはあの島に渡ってみたいと思ったものです。今回その夢がついにかないました。6月24日に礼文島に渡り、高山植物の花が咲く島内を観光したあと、利尻に渡りました。礼文島は緯度が高く、高い山がないため風が吹き抜け大きな木が育たず、本州の高山と同じような厳しい環境にあります。そういう厳しい環境だからこそ、貴重な植物が今も生育しているのです。利尻島は、海に浮かぶ独立峰です。一年中雪が残り貴重な生態系が残っている水の豊かな島です。

 厳しい環境が生み出す美しさ、そして、豊かな恵み、道心利行御和讃にはそんな言葉もあります。講習を通じて感じたことを含めて、来月は一番の歌詞から解説をしていきたいと思います。

2012-07-01 | Posted in 月々の法話Comments Closed 

 

還暦を迎えた梅花流の記念大会

 各地で突風や降雹などが見られ荒々しい天候の五月でした。そうした中、世紀の天体ショー金環日食が観察できました。

 5月29~30日に開催された、梅花流創立60周年記念奉詠大会から昨日戻って参りました。今回は5年に一度の記念大会ということで、特派師範60名全員が大会スタッフを務めました。初めて全国大会のスタッフを務めたのは、特派に就任したその年の5月でした。その時の感想は、2003年(平成15年)6月の月々の法話に書いてあります。5年前、さいたまスーパーアリーナで開催された55周年記念大会でもスタッフとして法要係を務めました。本当に大勢の大会関係者の努力で運営されていることがわかります。
 今回は、司会、詠讃師などの配役はもちろん、法要も案内誘導も特派師範が務めました。限られた人数でいろいろな役目を兼務して、何とか乗り切ることが出来ました。ただ単に、自分の仕事をこなすだけでなく、10年に渡って特派を勤めてきて、全国の講員さんと御縁を結んできましたので、そうした経験を生かし、代表登壇で緊張している講員さんに声をかけて、リラックスして頂けるように努めたり、また、講員さんに参加して良かったと思って頂けるよう、朝は会場で迎え、自席に案内し、終了後はお見送りをしました。特に、特派師範全員で行ったお見送りは壮観でした。 来年は宮城県で全国大会が開催されます。私も、みなさん宮城でまたお会いしましょう。という気持ちで手を振りました。そして、宮城、岩手、福島へ行き、復興を応援していきましょう。そういう梅花講のつながりを再確認できた大会でした。

 大会の様子は住職のブログ「山寺日記」のこの記事でご覧ください。また、袋田でも見ることができた世紀の天体ショー金環日食を子どもたちが観察する様子はこちらでご覧ください。

2012-06-01 | Posted in 月々の法話Comments Closed 

 

今年もサシバが渡ってきました

 みなさんは、サシバという鳥をご存知ですか?サシバは遠い南の国から渡ってくる猛禽類で里山で営巣し子育てをします。

 今年は、冬の寒さが厳しく、春先も寒い日が続き、桜の開花も平年よりもかなり遅れました。4月になっても桜が咲く気配がありません。そんな4月1日、滝本地区を野鳥の撮影をしながら歩いていると、一匹の猛禽類が枝に止まっていました。撮影しようと近づくと「みらんど袋田」の竿の先にとまりました。チョウゲンボウかハイタカかと思いながらとりあえず撮影し、家に帰って画像を確認したらサシバでした。寒い日が多かったのでのでまだ来てないと思っていたのにいつもより早くやってきたようです。

 サシバは、里山が大好きです。カエルやヘビがたくさんいる自然が豊かな環境でないと子育てができません。そうした、豊かな自然が残っているのが袋田なのです。田んぼのあぜ道にいるヘビやカエルを捕まえるには人間が草刈りをして、管理している必要があります。上空から獲物を狙うサシバにとって草が伸びたところでは狩が出来ません。しかし、高齢化で田んぼの担い手が少なくなり、耕作放棄地が増えてきました。これからもサシバが渡ってくる環境を守るためにも農林業が成り立つことが必要なのです。田んぼにカエルやドジョウがいっぱいいればトキも生息できます。そして、何より、いろいろな生き物がいる自然豊かな田んぼはからはおいしいお米がとれます。人間の健康にも良い田んぼが広がる里山の風景を守っていきたいものです。

2012-05-01 | Posted in 月々の法話Comments Closed 

 

慰霊と復興へ祈りを込めて桜を植えてます

 彼岸が過ぎても、氷点下の冷え込みがあったり、寒い風が吹いています。そうした中、宮城県石巻市に行き、桜の苗木を植えてきました。手あわせ桜プロジェクトに協力するためです。この活動の事務局をしている僧侶が駒澤大学の同級生の後藤泰彦師です。彼は、被災者が生きる希望を失い自暴自棄になる姿、アルコール依存症に陥る様子を目の当たりにし、何とかしなければと思い、亡くなった方を慰霊し、生きる人の希望になる桜を植えることを決意し、活動を続けています。

 厳しい冬を乗り越え、春に満開の花を咲かせる桜には、人々に生きる希望を与えてくれる力があります。その、桜にかけてみよう!という気持ちだったそうです。わたしも、被災者に寄り添う気持ちを形に表そうと車で四時間かけて石巻へと向かいました。まだまだ、大事な方を失った人々は心の整理がつかず、どうしてよいかわからないという思いをつのらせていることと思います。いつか歳月が流れ、桜の木が育つ頃、幾分でも心の平穏が得られることを祈念して木を植えました。
 今回、26歳の甥と12歳の長男も連れて行き一緒に植樹をしましたが、20年後30年後に桜がどうなっているか、復興した地域の姿、人々の様子を見届けてもらいたいと思っています。

2012-04-04 | Posted in 月々の法話Comments Closed 

 

のど元過ぎればとは言いますが・・・

 厳寒だったこの冬を物語るように、雪に覆われて3月が始まりました。
 あの東日本大震災から一年になります。いまだに仮設住宅で過ごす人、そして、故郷を離れて暮らさざるを得ない人のことを思うと、微力ながらも何とかしなければと思っています。そして、大切な人を失った心の痛みはどうすることもできないというのが現状です。
 一方、震災の時、あれだけ水の大切さがわかった。食べ物の大切さを再認識したと言っていた人たちが、一年たつと元の贅沢な生活に戻っているような気がします。夕方、各局のニュース番組の中で、豪華なレストランを紹介するコーナーがあり、食べ放題や大食いをテーマにするものまで放送されています。
 世界中には食べ物を満足に食べられない人、水を手に入れるのに大変な苦労をしている人が数えきれないほどいます。本当にこれでいいのかなと思ってしまいます。原子力発電には反対、被災地の瓦礫は受け入れたくない。と言いながら電気を使って、ごみを大量にだし、便利で豊かな生活を謳歌している日本人を見ると、日本は、不思議な国だなぁと思ってしまいます。
 便利な生活をしていく上で必要なゴミ処理施設、そして、なくてはならない火葬場などが近くに出来るとなると起きる反対運動が起きるのに構図が似ているように感じます。

 この冬、井戸水を使っているわが家は、水不足で、徹底した節水を心掛けました。そうした節水生活の中で改めて普段の生活では本当に膨大な量の水を使っているのだと思いました。人間は自分のことにならないと、当たり前の生活の有り難さを忘れてしまうようです。

 東日本大震災ではまだまだ大変な状況にいる方が大勢います。そうした中で自分に何ができるか考えた時に参考になるのは、そうした活動を続けてきた先輩方の言葉です。「一人で、いっぺんに大勢の人を救おうと思わなくてもいい、目の前苦しむ人がいたら、その人の話を聴いてあげるだけでもいいのだ。」ということです。難しく考え、行動しないのではなく、気軽に出来ることから、復興の手助けにつながることをし、そこに、つらい思いをしている人がいたら静かに寄り添うだけでいいのだと思います。けして、他人事、遠い世界の事と思わず、自分の事だと思って考えられることこそが大事だと思います。

2012-03-01 | Posted in 月々の法話Comments Closed 

 

積もらない雪を見ていた思い出

 今年は、12月中旬から寒波が次々と日本列島に流れ込み、厳冬となりました。袋田の滝も平成18年以来全面氷結し、久慈川の冬の風物詩「シガ」が連日流れています。幼い頃、なぜか鮮明に覚えていることがあります。それは、降り出した雪にうれしくなって、姉を呼びに行き、「雪だ♪雪だ♪」とはしゃぎながら、毛糸の手袋をつけ、帽子をかぶり雪遊びの準備をして縁側で見ていたのですが、雪は積もることなくやんでしまい、二人でがっかりしたというシーンです。
 小学校一年生の時に、長靴が埋もれるほどの雪の中の中を学校へ行ったことや、せっかく学校まで行ったら、先生に「今日は休みだ!」と言われた記憶などもあります。今年は、日本海側も今年は豪雪になっています。高齢化の進んだ山村では、雪下ろしや生活物資の確保が大変なのではないかと心配しています。また、仮設住宅で冬越しするのは大変でしょうが、協力し合って何とか厳しい冬を乗り越えてほしいものです。

 1月16日に、いつも一緒だったその仲の良い姉が亡くなりました。享年54歳という少し早い旅立ちでした。本当に身近な人が亡くなると、悲しみが実感できないものです。1月31日は、姉が存命なら満54歳となる誕生日でした。残された家族は心に穴が開いたような状態だと思います。今までも、自分の子供同様に可愛がってきた甥と姪ですが、これからは姉の分まで見守っていってあげようと思います。

2012-02-01 | Posted in 月々の法話Comments Closed 

 

今年は龍の年です。心の中の龍を育てましょう

 去年は本当に大変な年でした。例年なら新年の抱負や希望を抱いて歩き出す時なのに、今年は、去年やり残したことや、解決までまだまだ時間がかかる問題、見通しが立たない事など、不安な感情で迎えた新年となりました。

 11月18日にジェツン・ペマ王妃を伴い福島県相馬市の桜丘小学校を訪問したブータン王国のワンチェク国王は、「龍を見たことがあるかい?」と、子供たちに語りかけました。「龍は一人ひとりの心の中にいて、経験を食べて大きくなるんだ。」つまり、この経験は必ず皆さん人格という龍を成長させてくれるのだと示してくれました。

 日本は、昨年3月11日の東日本大震災で多くの命を失い、たくさんの財産をなくしました。そうした中で、物の大切さ、家族や地域社会の絆、助け合うことの大切さを学んだのです。龍を象徴とするブータン王国は、国民が心豊かに暮らせることを目指す国です。日本は経済成長を続ける中で、物質文明を満喫してきましたが、幸福感からは遠ざかったような気がします。今年は龍の年です。豊かな心を育み、幸せを感じられる年にしたいものです。

2012-01-01 | Posted in 月々の法話Comments Closed 

 

師匠が期待を込めて名付けたしこ名です

 茨城県出身の稀勢の里関(本名-萩原寛-はぎわら・ゆたか)さんがついに大関に昇進となりました。年五場所すべてで勝ち越し、うち4場所は10勝以上の成績を残していますので、当然の結果だと思います。さて、この稀勢の里というしこ名は、亡くなった師匠が期待を込めて付けた名前です。現役の頃、隆の里関は、親交のあった曹洞宗大本山永平寺貫首秦慧玉禅師から贈られた言葉「作稀勢(稀なる勢いを作す)」から将来横綱になりうる力量を持った弟子が現れたら「稀勢の里」と名付けようと思ったそうです。若干18歳史上二位で新入幕を果たし、そのしこ名を頂いた稀勢の里ですが、その後はライバルたちに先を越されなかなか大関になれませんでした。しかし、目先の勝利の為の奇策は用いず、どんな大きな相手にも真っ向から勝負をいどむその姿勢が変わることはなかったのです。

 ところで、秦慧玉禅師は、私が永平寺で修行していた時の禅師様です。秦禅師は漢詩の大家でもありました。「詩偈作法」という本も出版されています。禅宗の僧侶は、法語を唱えたり、戒名を付けたりする時、こうした漢詩の知識が必要となります。

 最近亡くなった落語家が自分で戒名を作ったと話題になりましたが、漢詩の勉強をしている人なら決してつけない漢字の並びです。そもそも、「家元勝手」を「いえもとかって」とは読みません、禅宗は基本的に呉音(ごおん)読みですので「ケガンショウシュ」となります。「カゲンショウシュウ」と読める漢字の並びなら多少響きが良くなります。韻や平仄に気を使うとさらに戒名らしくなります。なにより、戒名は仏弟子としての名前ですので、音の響きだけでなく、意味合いも大事です。私は、漢詩が好きですので、戒名の四文字で、自然の情景とその人の姿が目に浮かぶ、詩のような戒名を付けるように心がけています。

 おしん横綱とも呼ばれた辛抱の人「隆の里」関は、禅師様よりこの言葉を頂いたときに、弟子につけるしこ名に結びつけたということが、後進の指導に力を注いだ元の鳴門親方らしいと思いました。前親方の思いをしっかり受け止め、稀勢の里関には精進を続け、横綱を目指して欲しいと思います。

2011-12-01 | Posted in 月々の法話Comments Closed