月々の法話

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大子町は横山大観ゆかりの地です


今年も師走を迎え一年のまとめの時期となりました。横山大観が大子で生まれたのかどうか、大観ゆかりの、それぞれの場所に行って詳細に調査した人が書いた資料を読むことができました。その資料によると、大子で生まれたということを証明する資料は見つからなかったものの、否定する資料もないので、はっきりしないということでありました。また、大洗から大子へ移住し、水戸に戻ったという資料は、著者が大子にいた時期を特定できずに、大洗と水戸の間に入れたようですが、それについては否定的でした。というのも、水戸へ戻った横山大観の一家は、水戸の学校に通ったもの、間もなく東京へ移住してしまい、詳しい証言が得られなかったというのです。大子生誕説の元になっているのは、朝日新聞に掲載された本人の証言であり、その時取材した記者などにも証言を取りたかったが会うことができなかったそうです。

しかし、当時の時代背景をみると、大子は、天狗党も諸生派もいるが、血縁関係があって、お互いを攻め合うような状態ではなく、天狗党の残党が諸生狩りをしている当時の水戸から比べるとはるかに安全な場所であったのでしょう。身重の大観の母親が、知人を頼って大子で子を産もうとしたのもうなずけます。そして、水戸を逃げ出して大子で生んだということは、武士の面目からも言いたくない話であったというのも理解できます。晩年になって、母から聞いていた自分の出生の秘密を記者に語ったというのが自然だと思うのですが・・・。

いずれにしても、本人が晩年に語っているので、大子町で生まれた可能性は高いと思います。もし、水戸で生まれたあと大子へ移住して来たとしても、大子町が大観ゆかりの地であることに変わりはないのです。

さて、龍泰院のホームページをリニューアルしました。スマートフォンやタブレットなどでも見やすいようにしました。新しい年が間もなくやってきます。新しい年も龍泰院のウェブ・サイトを宜しくお願い致します。

2014-12-01 | Posted in 月々の法話Comments Closed 

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